吉田晴乃さん。 吉田晴乃さん死去の前日、人生最後になった渾身の演説全文 (1/3):日経doors

G20閉幕翌日に急死…W20共同代表、吉田晴乃さんが伝えたかったこと:イザ!

吉田晴乃さん

(左)BTジャパン 代表取締役社長 吉田晴乃さん(右)お母様との思い出の一枚。 16歳のとき、友人の紹介でお父様と出会い、一途な思いを貫いた。 「父に『あなたを必ず看取るからね』と言ったのが彼女がついた唯一の嘘。 母はとてもおしゃれで、このゴールドのアクセサリーも彫金の特注品なんです。 服のサイズも趣味もピッタリ合うので、「親子って不思議だな」と思います。 母は1937年(昭和12年)12月23日生まれ。 父とは16歳で知り合い、23歳で結婚しました。 一人の男性に忠誠を誓い、専業主婦として生きた、あの時代の女性の鑑(かがみ)のような人。 学校が終わって帰ると、手づくりのおやつが用意されていて、紅茶を入れて待っていてくれる。 毎日「今日は何があったの?」と娘たちを迎える温かい母親でした。 母の時代の専業主婦たちは、今の働く母親とはまた違った意味で、本当に偉かったと思います。 幼少期を旧満州で過ごした母は幼い頃の戦争体験から、平凡でもいいから皆がいつも一緒にいられる幸せな家庭をつくりたいと心の底から願い、それをちゃんと実現したわけですから。 でも、そんな母を見て育った私は、反面教師でこうなっちゃいましたが(笑)。 キリスト教の伝統ある女子校に通っていましたが、反抗期もひどく、プラカードを持って職員室に立てこもったことも……。 母は何とか私を型にはめようとしましたが、当時の私はどうしてもそこからはみ出ようとする。 でも母の中には矛盾もあって、私を型にはめようとする一方で、幼い頃から「これからの女性は社会に出て仕事をしていくべきなの」「自分でお金を稼がないと発言権もなくなるし、悲しい思いをするのよ」と、ため息交じりに私につぶやく母もいました。 次第に、母の中でくすぶる矛盾がいったい何なのかと、疑問を抱くようになります。 「なぜそんな惨めな思いをしなきゃいけないの? それでいいわけないじゃない」と。 だから今の私があるのは必然であり、何よりも私の中に母の血が流れていることの証しなのかなと思います。

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G20閉幕翌日に急死…W20共同代表、吉田晴乃さんが伝えたかったこと(1/2ページ)

吉田晴乃さん

20190715 熊井泰明、大砂雅子 追悼:吉田晴乃さんが残した「女性活躍」 吉田晴乃さんが 6月 30日に心不全で亡くなりました( 55歳)。 亡くなる前日の G20大阪サミット特別イベントでは、渾身の演説を担当された(全文は日経 ARIAで公開されています)とのことですから、全く突然の訃報としか言いようがありません。 あまりご存知のない方のため、吉田さんについて少しご紹介させて頂きます。 BTジャパンCEO、初の女性経団連審議員会副議長、規制改革推進会議委員などの重責を歴任し、 2017年にはフォーチュン誌が選ぶ World's Greatest Leaders 50の一人に日本人としてただ一人選出されたこともあります。 経営者としては、いろいろな事情や状況を抱えた社員が活躍できる会社を、という主張をされて来たことでも知られています。 こう書くと、何か順風満帆で来た方のように見えますが、大学卒業のスタート時点から大病やいろいろな問題に直面し、それを乗り越えて圧倒的なキャリアを築いてきた方です。 モトローラ日本法人、カナダの通信会社、 NNTコミュニケーションズなどでキャリアを磨きました。 カナダ人との離婚後にはシングルマザーとして子育てにも邁進し、「娘世代が私たち世代と同じ苦労をしなくて済むように女性活躍を進めたい」という視点から、女性活躍の場を広げることにも力を注いでこられました。 「 100%の力を、母親、CEO、経団連役員、政府委員の 4等分すれば良いかというと、それぞれに 100%が求められ、これまでの 400%の力を発揮しなければなりません」と言い切る方ですから、もしかしたら激務で燃え尽きてしまったのかも知れません。 一度だけ同席したことがありますが、隙のないスーツに高いヒールの靴で会議室に登場すると、出席者が思わず起立して迎えた光景を覚えています。 圧倒的かつ不思議な存在感を持つ方でもありました。 (熊井) 写真で拝見しただけですが、日本人離れした美貌と威圧感のあるお姿を見ると、この日本社会で女性がトップに上り詰めるには、このような方でないと無理だと感じさせるものがありました。 次に続く世代は、普通の女性たちにも男性と同様のチャンスがあってほしいものです。 たぶん、吉田さんもそれを望んでいたことでしょう。 (大砂) まだまだリーダーとして活躍して頂きたかった方だけに、突然の訃報は残念としか言いようがありません。 「花粉( Le Pollen)」(作詞 ピエール・バルー、作曲 高橋幸弘)という曲をご存知の方はほとんどおられないでしょう。 「私たちは過去の人々から花粉を受け継いで花を咲かせ、次の人々に残していく」という歌なのですが、昨年から訃報が相次ぐ中でなかなか染みる内容になっています。 私たちは吉田さんの残した「花粉」を花開かせ、次世代に送る義務があると思います。 心からご冥福をお祈りいたします。

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吉田晴乃さん死去の前日、人生最後になった渾身の演説全文 (1/3):日経doors

吉田晴乃さん

2019年6月30日、吉田晴乃さんが55歳の若さで亡くなった。 衝撃的だった。 私はこれまで、吉田さん講演を2回聞いたことがある。 一人の女性として、彼女の芯の強さとしなやかさに強烈に憧れ、ひそかなファンである。 これまでNoteには記事を書いたことがなかったが、 彼女への感謝を込めて、彼女から学んだことと思いをつづりたいと思う。 まずはじめに 吉田晴乃さんは、何足もの草鞋(現実にはとっても素敵なヒール)を履いた女性リーダーだ。 ・BTジャパン株式会社代表取締役社長 ・元日本経済団体連合会審議員会副議長 ・内閣府規制改革推進会議委員 ・お母さん 2015年に経団連初の女性役員として就任していて 2017年には、フォーチュン誌によるWorld's Greatest Leaders 50の一人に日本人としてただ一人選出されたお方である。 これほどの大量の役割とタスクをどうこなしているのか? この疑問に対して吉田さんが語るのは「Digital Possible」である。 「私は現在、『BTジャパンの社長』『経団連役員』『規制改革推進会議委員』『一人娘の母親』と、異なる4足のわらじを履いている状態です。 これらすべての役割で100%の力を発揮し、利益と成果を出せているのは、どこからでも情報やリソースにアクセスできるモバイル環境があるから。 sbbit. ICT 端末とサービスの進化によって、今やスマートフォンさえあれば、いつどこにいても仕事ができる(できてしまう)。 ここで ICT 化の可能性について考えてみたい。 ICT 端末とサービスの進化と普及が 進めば、例えば子育て中の女性や出勤困難な方の在宅就労が可能になるだろう。 また「あそこは遠くて通えないから」という地理的な理由で挑戦することを断念していた人々には、人生の選択肢が一気に増えるはずだ。 さらに近い将来には、遠隔医療を通して地域在住高 齢者の健康管理が可能になるだろう。 こうした例は氷山の一角に過ぎず、ICT 化は業界や 国境を超えて私たちに多大な恩恵をもたらしてくれると考えられる。 しかしこのような肯定的な可能性が広がる一方で、ICT には限界も存在する。 その限界こそ吉田様が「Digital Impossible」と表現していたもの、すなわち、どれだけ ICT 化やそ の他の技術革新が進んでも技術が人間の代わりをできない部分だ。 では一体、ICT に実現 できないものなにか。 それは端的に言えば、人が「直接」会って行う感情のやり取りではないかと思う。 人と人との間の直接的な交流の中で生まれる感情の交信、本能的あるいは直観的に受け取るもの、相手の微妙な表情変化の無意識レベルでの認知、ノンバーバルコミュニケーション、その場の雰囲気や互いがまとう空気。 こうしたデータとして表しにくい部分にこそ、技術で代わることができない人間間の尊いやりとりがあるのではないか。 (いつか技術が追いつく可能性があるにしても、) ICT 化が進んだ社会においても、人が大切にしていかなければいけない部分ではないだろうか。 人と人との間の ネットワークを作るきっかけとなり、人々の社会交流を活発化し、Digital Possible 浸透時代の幕開けの引き金となるだろう。 しかしこれは同時に、人が直接会う機会を減らす可能性があ るという矛盾を考えなければならない。 各業界で ICT 化が現実化してきている中、これからは Digital Impossible にも目を向けていかなければいけないフェーズに差し掛かってい るのかもしれない。 新技術を世の中に普及させる際には、Possible と Impossible、メリッ トとリスクを把握した上でそのバランスを考え、自分なりの倫理観をもって取り組む必要性を感じる。 そして、最新技術に埋もれないだけの人間としての自分の価値を見いだすことで、どう社会貢献できるかを考えたいと感じる。 長くなってしまったが、 吉田様が講演の中で、何度も繰り返されていた言葉がある。 「もっと、もっと。 」 、そして「Pursue it. 」である。 一人ひとりがもっと貪欲に、自分の価値観の下に 幸せを追及していくべきだ、そんな人が増えたら日本はどんなに素敵な国になるでしょうとおっしゃりながら。 私はそのときの吉田様の目の中に、吉田様が思い描く理想の社会のビジョンを見たように思う。 リーダーは自分が理想とする明確なビジョンをもっていて、どんな弊害があってもそのゴールを見続け、信念をもって進み続けることができる人なのではないか。 吉田様に出会ったことで、私の中で「信念(ビジョン)があるリーダー像」というものが具体化されたように感じる。 確固たる信念をもち数字で結果を打ち出していく強さをもちながらも、 娘を想う気持ちを忘れず女性の優しさやしなやかさを併せ持つ女性リーダー。 私が初めて聞いた、女性のトップリーダーの講演が吉田様でよかったと心から思う。 私も今後の人生・キャリアプランを考える過程において、もっと貪欲に自分が理想とする社会像を追い求め、より具体的な ビジョンの確立を目指していこうと思う。 私のように吉田さんから大きな影響を受けた人はたくさんいるんだろうな。 ・・・なんだかまとまりのない記事になってしまったけれど・・・。 吉田さん、本当にありがとうございました。

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