レンドル最強説。 「歴代史上最強プレーヤーは、、、?(男子編)」

誰が最強?ジョコビッチ・フェデラー・ナダルのテニス界の評価。

レンドル最強説

ロッド・レーバー最強説 【ロッド・レーバー最強説】 【はじめに】 テニス史上最強の選手は誰かを論議する中で ロッド・レーバーの名前を出さずにいるわけにはいかない。 やれ ボルグだ、やれ サンプラスだと言っても、 レーバーの偉業には及ばないからだ。 年間グランドスラム2度。 これが レーバーの全てを物語っている。 しかし残念なことに、 1968年以前の細かい記録はほとんど残っていない。 確認できるのは、グランドスラム優勝者とせいぜい準優勝者くらいである。 当サイトで常々主張していることだが、グランドスラムだけでテニスの全てを語ることはできない。 そのため、古い選手に関しては、あくまでも記録の一部であることを念頭においておく必要があるのだ。 そのことを前提に、この歴史的な選手を見ていくことにしよう。 【レーバー最強説の真相は】 レーバーが年間グランドスラムを達成したのは、 1962年と 1969年のこと。 2度目の達成は1度目から 7年後ということになる。 レーバーの生涯獲得グランドスラムは全部で 11だ。 2度の年間達成で 8回だから、それ以外には 3回しか優勝していないことになる。 最強のはずの選手にしては、意外に少ないと思わせる。 しかしこれには理由がある。 レーバーは、最初の年間達成の翌年( 1963年)に、 プロに転向する。 当時のグランドスラムはプロ選手の出場が禁止されていた。 つまり レーバーは1963年以降、グランドスラムに出場していなかったのである。 もしも レーバーが続けて出場していれば、 遥かに多くの優勝を飾っていたはずだともよく言われるが、 そのような仮定の話はさておき、 こうなると当時のグランドスラムには、どうにも気になる点が出てくる。 【グランドスラムのプロ選手出場禁止】 プロ選手の出場しないグランドスラムが 果たしてどれほどの レベルだったのだろうか。 当時のグランドスラムは、権威はあったが選手への報酬はほとんどなかった。 そのため、有力な選手は、ある程度実績を積むと プロに転向してグランドスラムから離れていくことが多かった。 例えば 1938年に(この年は奇しくも レーバーの生年にあたる) ドン・バッジが レーバー以外唯一人にして史上初の 年間グランドスラムを達成した。 勿論 バッジは歴史に名を残すことになったわけだが、 その前年に当時最強であった フレッド・ペリーがプロ化を宣言してグランドスラムに出場しなくなっていたこともあり、 必ずしも絶対的な評価が下されているわけではないことも事実なのだ。 そして バッジ本人も、より上を目指し、この翌年にはプロに転向してしまうのである。 このようなことは当時頻繁に発生していた。 そのため、1962年の レーバー最初の年間達成も どれほどの価値だったのか疑問に感じる人がいてもおかしくはない。 【プロ選手用の大会】 これだけでは レーバー最強説も根拠が薄いように思えるが、 レーバーには確かな実績があった。 グランドスラムがアマチュアの大会であった頃、 当然のことながらプロ選手にはプロ用の大会というのが存在した。 ウェンブリー、USプロ、フレンチプロの3つが中でも特に大きな大会だった。 これはプロ版のグランドスラムとも呼べる大会であり、 むしろ プロ選手が一同に集うため、よりレベルの高い、 当時としては最高のトーナメントと言えるものだった。 その中での レーバーの戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1964年-1967年まで4連覇、1970年にも優勝。 1971年準優勝。 USプロ: 1963年から8年連続決勝進出。 うち1964年、1966年-1969年まで計5回優勝。 フレンチプロ: 1963年から6年連続決勝進出。 うち1967年、1968年の2回優勝。 《優勝12回。 準優勝8回。 》 プロ化した後も、かなりの強さであったことがわかると思う。 特に1967年には3大会全制覇を達成している。 【グランドスラムオープン化】 そして 1968年、遂にグランドスラムは オープン化を迎える。 プロでもアマでも誰でも出場が可能になったのだ。 これ以降、グランドスラムは明確に最高の大会と位置づけられるようになった。 レーバーはオープン化後初の ウィンブルドンチャンピオンになり、 そして翌 1969年には2度目の 年間グランドスラムを達成した。 今度こそは紛れもなく 最強の証を手にしたといえるだろう。 強い選手が出ていなかったなどということはないのだから。 全盛期とも言える時期( 25歳〜30歳)がすっぽり抜けたにも関わらず レーバーは グランドスラム史上に名を残してしまった。 プロ入り前、プロ入り後、そしてオープン化後と あらゆる状況の中で常に最高の成績を収めてきた レーバーは 紛れもなく 最強選手であったのだ。 しかし、1970年代に入ると レーバーの時代は唐突に終わりを告げる。 グランドスラムオープン化時に既に30歳になっていたのだから致し方ない。 レーバーは1975年に第一線から退いた。 ただ、この頃既に ATPランキング制度がスタートしていたが、 レーバーは最後までトップ10から落ちることはなかった。 【プレースタイル】 レーバーのプレースタイルはどのようなものだったか。 映像があまり多く残されていないのが残念だが 人々の記憶では、そのプレーは 衝撃的だったようだ。 基本は サーブアンドボレーで、 動きが速く、 当時としては異例の フラット系のハードヒットを打ち トップスピンロブを使いこなしたという。 1991年の全仏決勝で、BBCの実況が コルダのプレーを観て、 ロッド・レーバーを思わせるとコメントしていた。 タイプ的に同じようなプレーだったとするならばこれは凄いことだといえる。 コルダの勢いのあるハードヒットは、とても30年前のプレーとは思えないものだったからだ。 当サイトで収集した レーバーの成績は、 不完全なものながら生涯勝率、グランドスラム勝率共に サンプラスを上回り、 トップの ボルグに迫るほどのものである。 名前 生涯勝率 GS勝率 ボルグ 82. ケン・ローズウォール】 レーバーと同時代に、それに匹敵する選手が一人存在した。 レーバー以上に偉大とさえいえるその選手こそ、 ケン・ローズウォールその人である。 ローズウォールは1934年生まれ。 レーバーよりも4つ年長の選手だ。 この選手は、現在でも偉大な選手として認知されているものの、 レーバー以上にその本当の活躍が闇に消えてしまっている選手だといえるだろう。 ローズウォールは 1953年に、 18歳という若さで全豪と全仏のタイトルを獲得した。 (因みに レーバーが初めて全豪で勝ったのは21歳のとき) その後全豪と全米でも優勝を果たすと、 1956年に早くもプロ化を宣言してしまう。 まだ レーバーも エマーソンも登場する前のことであった。 このような早くから、 ローズウォールはグランドスラムから姿を消していたのだ。 ローズウォールがプロであった間の戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1957年、1960年-1963年、1968年-1969年優勝。 計7回。 1964年、1966年-1967年、1970年準優勝 USプロ: 1963年、1965年、1971年優勝。 計3回。 1966年準優勝。 フレンチプロ: 1958年、1960年-1966年優勝。 計8回。 プロ大会の優勝数は実に 18回。 ダントツの最多記録である。 ( レーバーは 12回) また、プロ大会決勝での両者の対戦成績は、 ローズウォールの 6勝4敗であった。 (生涯の対戦成績は レーバーの 79勝66敗といわれる 両者の対戦についての詳細はを参照) プロとしての ローズウォールは、 レーバーに劣らぬ大選手だったのだ。 1963年に年間グランドスラムを引っさげて レーバーがプロテニス界に登場したときも、 依然として ローズウォールこそが第一人者と評価されていた。 1968年にグランドスラムが オープン化されると ローズウォールも出場し、 オープン化後初の 全仏王者となった。 この時既に 34歳であったのだから驚きだ。 さすがに翌 1969年の レーバーの勢いは止められなかったが、 レーバーが力を失った後の1970年代にも 3回の優勝を重ね、 1953年から実に 20年越しでの グランドスラム優勝者となった。 最終的にグランドスラム獲得数は 8で、 レーバーの 11には及ばないし、 レーバーが出現する前から強く、 レーバー以後にも強かったことから レーバーさえいなければ最強だったというような見方をされることもあるようだが それは事実ではなく、実は レーバーと互角の戦いをしていたことがわかると思う。 そして レーバー以上に、というより他のどんな選手よりも遥かに 息の長かった選手であった。 グランドスラム獲得数 8は充分素晴らしい数であるが、それが 「21歳から34歳までの間がぽっかり空いている状態」 で達成されたものなのだから驚異とさえいえる。 ローズウォールと同じグランドスラム優勝数を誇る コナーズ、レンドル、アガシでさえ、 全ての優勝は 21歳〜34歳の間に行われている。 間違いなく ローズウォールこそテニス史上 最も偉大な選手であったといえよう。 このページに対するご意見等は まで。

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[B!] レンドル最強説&フェデラー最強説

レンドル最強説

ロッド・レーバー最強説 【ロッド・レーバー最強説】 【はじめに】 テニス史上最強の選手は誰かを論議する中で ロッド・レーバーの名前を出さずにいるわけにはいかない。 やれ ボルグだ、やれ サンプラスだと言っても、 レーバーの偉業には及ばないからだ。 年間グランドスラム2度。 これが レーバーの全てを物語っている。 しかし残念なことに、 1968年以前の細かい記録はほとんど残っていない。 確認できるのは、グランドスラム優勝者とせいぜい準優勝者くらいである。 当サイトで常々主張していることだが、グランドスラムだけでテニスの全てを語ることはできない。 そのため、古い選手に関しては、あくまでも記録の一部であることを念頭においておく必要があるのだ。 そのことを前提に、この歴史的な選手を見ていくことにしよう。 【レーバー最強説の真相は】 レーバーが年間グランドスラムを達成したのは、 1962年と 1969年のこと。 2度目の達成は1度目から 7年後ということになる。 レーバーの生涯獲得グランドスラムは全部で 11だ。 2度の年間達成で 8回だから、それ以外には 3回しか優勝していないことになる。 最強のはずの選手にしては、意外に少ないと思わせる。 しかしこれには理由がある。 レーバーは、最初の年間達成の翌年( 1963年)に、 プロに転向する。 当時のグランドスラムはプロ選手の出場が禁止されていた。 つまり レーバーは1963年以降、グランドスラムに出場していなかったのである。 もしも レーバーが続けて出場していれば、 遥かに多くの優勝を飾っていたはずだともよく言われるが、 そのような仮定の話はさておき、 こうなると当時のグランドスラムには、どうにも気になる点が出てくる。 【グランドスラムのプロ選手出場禁止】 プロ選手の出場しないグランドスラムが 果たしてどれほどの レベルだったのだろうか。 当時のグランドスラムは、権威はあったが選手への報酬はほとんどなかった。 そのため、有力な選手は、ある程度実績を積むと プロに転向してグランドスラムから離れていくことが多かった。 例えば 1938年に(この年は奇しくも レーバーの生年にあたる) ドン・バッジが レーバー以外唯一人にして史上初の 年間グランドスラムを達成した。 勿論 バッジは歴史に名を残すことになったわけだが、 その前年に当時最強であった フレッド・ペリーがプロ化を宣言してグランドスラムに出場しなくなっていたこともあり、 必ずしも絶対的な評価が下されているわけではないことも事実なのだ。 そして バッジ本人も、より上を目指し、この翌年にはプロに転向してしまうのである。 このようなことは当時頻繁に発生していた。 そのため、1962年の レーバー最初の年間達成も どれほどの価値だったのか疑問に感じる人がいてもおかしくはない。 【プロ選手用の大会】 これだけでは レーバー最強説も根拠が薄いように思えるが、 レーバーには確かな実績があった。 グランドスラムがアマチュアの大会であった頃、 当然のことながらプロ選手にはプロ用の大会というのが存在した。 ウェンブリー、USプロ、フレンチプロの3つが中でも特に大きな大会だった。 これはプロ版のグランドスラムとも呼べる大会であり、 むしろ プロ選手が一同に集うため、よりレベルの高い、 当時としては最高のトーナメントと言えるものだった。 その中での レーバーの戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1964年-1967年まで4連覇、1970年にも優勝。 1971年準優勝。 USプロ: 1963年から8年連続決勝進出。 うち1964年、1966年-1969年まで計5回優勝。 フレンチプロ: 1963年から6年連続決勝進出。 うち1967年、1968年の2回優勝。 《優勝12回。 準優勝8回。 》 プロ化した後も、かなりの強さであったことがわかると思う。 特に1967年には3大会全制覇を達成している。 【グランドスラムオープン化】 そして 1968年、遂にグランドスラムは オープン化を迎える。 プロでもアマでも誰でも出場が可能になったのだ。 これ以降、グランドスラムは明確に最高の大会と位置づけられるようになった。 レーバーはオープン化後初の ウィンブルドンチャンピオンになり、 そして翌 1969年には2度目の 年間グランドスラムを達成した。 今度こそは紛れもなく 最強の証を手にしたといえるだろう。 強い選手が出ていなかったなどということはないのだから。 全盛期とも言える時期( 25歳〜30歳)がすっぽり抜けたにも関わらず レーバーは グランドスラム史上に名を残してしまった。 プロ入り前、プロ入り後、そしてオープン化後と あらゆる状況の中で常に最高の成績を収めてきた レーバーは 紛れもなく 最強選手であったのだ。 しかし、1970年代に入ると レーバーの時代は唐突に終わりを告げる。 グランドスラムオープン化時に既に30歳になっていたのだから致し方ない。 レーバーは1975年に第一線から退いた。 ただ、この頃既に ATPランキング制度がスタートしていたが、 レーバーは最後までトップ10から落ちることはなかった。 【プレースタイル】 レーバーのプレースタイルはどのようなものだったか。 映像があまり多く残されていないのが残念だが 人々の記憶では、そのプレーは 衝撃的だったようだ。 基本は サーブアンドボレーで、 動きが速く、 当時としては異例の フラット系のハードヒットを打ち トップスピンロブを使いこなしたという。 1991年の全仏決勝で、BBCの実況が コルダのプレーを観て、 ロッド・レーバーを思わせるとコメントしていた。 タイプ的に同じようなプレーだったとするならばこれは凄いことだといえる。 コルダの勢いのあるハードヒットは、とても30年前のプレーとは思えないものだったからだ。 当サイトで収集した レーバーの成績は、 不完全なものながら生涯勝率、グランドスラム勝率共に サンプラスを上回り、 トップの ボルグに迫るほどのものである。 名前 生涯勝率 GS勝率 ボルグ 82. ケン・ローズウォール】 レーバーと同時代に、それに匹敵する選手が一人存在した。 レーバー以上に偉大とさえいえるその選手こそ、 ケン・ローズウォールその人である。 ローズウォールは1934年生まれ。 レーバーよりも4つ年長の選手だ。 この選手は、現在でも偉大な選手として認知されているものの、 レーバー以上にその本当の活躍が闇に消えてしまっている選手だといえるだろう。 ローズウォールは 1953年に、 18歳という若さで全豪と全仏のタイトルを獲得した。 (因みに レーバーが初めて全豪で勝ったのは21歳のとき) その後全豪と全米でも優勝を果たすと、 1956年に早くもプロ化を宣言してしまう。 まだ レーバーも エマーソンも登場する前のことであった。 このような早くから、 ローズウォールはグランドスラムから姿を消していたのだ。 ローズウォールがプロであった間の戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1957年、1960年-1963年、1968年-1969年優勝。 計7回。 1964年、1966年-1967年、1970年準優勝 USプロ: 1963年、1965年、1971年優勝。 計3回。 1966年準優勝。 フレンチプロ: 1958年、1960年-1966年優勝。 計8回。 プロ大会の優勝数は実に 18回。 ダントツの最多記録である。 ( レーバーは 12回) また、プロ大会決勝での両者の対戦成績は、 ローズウォールの 6勝4敗であった。 (生涯の対戦成績は レーバーの 79勝66敗といわれる 両者の対戦についての詳細はを参照) プロとしての ローズウォールは、 レーバーに劣らぬ大選手だったのだ。 1963年に年間グランドスラムを引っさげて レーバーがプロテニス界に登場したときも、 依然として ローズウォールこそが第一人者と評価されていた。 1968年にグランドスラムが オープン化されると ローズウォールも出場し、 オープン化後初の 全仏王者となった。 この時既に 34歳であったのだから驚きだ。 さすがに翌 1969年の レーバーの勢いは止められなかったが、 レーバーが力を失った後の1970年代にも 3回の優勝を重ね、 1953年から実に 20年越しでの グランドスラム優勝者となった。 最終的にグランドスラム獲得数は 8で、 レーバーの 11には及ばないし、 レーバーが出現する前から強く、 レーバー以後にも強かったことから レーバーさえいなければ最強だったというような見方をされることもあるようだが それは事実ではなく、実は レーバーと互角の戦いをしていたことがわかると思う。 そして レーバー以上に、というより他のどんな選手よりも遥かに 息の長かった選手であった。 グランドスラム獲得数 8は充分素晴らしい数であるが、それが 「21歳から34歳までの間がぽっかり空いている状態」 で達成されたものなのだから驚異とさえいえる。 ローズウォールと同じグランドスラム優勝数を誇る コナーズ、レンドル、アガシでさえ、 全ての優勝は 21歳〜34歳の間に行われている。 間違いなく ローズウォールこそテニス史上 最も偉大な選手であったといえよう。 このページに対するご意見等は まで。

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男子プロテニス界最強の選手は誰だ?BIG3の偉業を比較

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🎾本記事のサマリー• 10 ジミー・コナーズ/Jimmy Connors(USA) 闘志溢れるプレーで歴代最多のATPシングルス109勝 選手プロフィール:1970年代の男子テニス界に長らく王者として君臨したレジェンド。 ビョルン・ボルグ、ジョン・マッケンロー、イワン・レンドルらと並び、 黄金時代を築いた名選手のひとり。 現役時代は悪役的なキャラクターとして人気を博した。 世界ランキング1位通算在位記録「268週」は歴代4位。 米国UCLA出身の高学歴。 幼少期のフェデラーが憧れたアイドル選手だった。 1972年でプロデビューから96年まで22年間に渡って現役生活を続けた。 四大大会成績:8勝(全豪1・全仏0・全英2・全米5)• ツアー勝利:シングルス109勝・ダブルス16勝• ATPシングルス1位通算在位:268週• 年間最終戦:1勝• 現在の活動:引退後は殆どテニスとの関わりを持たずにいる。 2006年にアンディ・ロディックのコーチを務めた。 イワン・レンドル/Ivan Lendl(CRZ) 80年代最強のグランドストロークの使い手 選手プロフィール:1980年代の男子テニス界の絶対王者。 四大大会では決勝に19回出場したが、8勝11敗という勝負弱さが垣間見える。 四大大会成績:8勝(全豪2・全仏3・全英0・全米3)• ツアー勝利:シングルス94勝・ダブルス6勝• ATPシングルス1位通算在位:270週• 年間最終戦:5勝• 現在の活動:2010年にシニアツアーへ復帰し現在も参戦中。 2012年より2年間アンディ・マレーのコーチへ就任し、2012年全米や13年ウィンブルドン、ロンドン五輪の優勝に貢献。 その後、2018年よりアレクサンダー・ズベレフのチームへ加入。 チェコ出身だが、現役時代の晩年92年にアメリカに帰化し、現在もコネチカット在住。 ジョン・マッケンロー/John McEnroe(USA) 基本から逸脱した天性のタッチセンスは唯一無二 選手プロフィール:80年代前半の王者。 シングルスとダブルスの両方でランキング1位を達成している。 ビヨン・ボルグとのライバル関係で名勝負を繰り広げた。 試合中に暴言を吐いたり、ラケットを投げたりと 「悪童」と称されたクレーマーだった一方で、その情熱的なキャラクターでファンに愛された。 米国スタンフォード大学出身(中退)。 四大大会成績:7勝(全豪0・全仏0・全英3・全米4)• ツアー勝利:シングルス77勝・ダブルス71勝• ATPシングルス1位通算在位:177週(歴代位)• 年間最終戦:3勝• 現在の活動:現在もシニアツアーで活躍している。 アメリカのTV番組でも活躍。 2016年のウィンブルドンではラオニッチの臨時コーチに就任。 アンドレ・アガシ/Andre Agassi(USA) サンプラスと共に1時代を築いた、90年代のアイコン選手。 端正なマスクに、で、テニス界のファッションリーダーとしても人気を博した。 史上唯一の・・ATPツアーファイナル優勝の3冠達成者。 1986年にツアーデビューして、2006年まで活躍。 キャリア晩年の2005年全米オープンでも決勝に進出しフェデラーと好ゲームを演じたなど、長期に渡ってツアーで活躍した。 36歳で引退宣言。 2017年よりジョコビッチのコーチへ就任。 四大大会成績:8勝(全豪4・全仏1・全英1・全米2)• 生涯グランドスラム:• ツアー勝利:シングルス60勝・ダブルス1勝• ATPシングルス1位通算在位:101週• 年間最終戦:1勝• 現在の活動:ドイツの絶対女王のシュテフィ・グラフと結婚し2人の子どもを抱える父親。 引退後に出版した自叙伝『OPEN』で現役の期間中にレクレーショナルドラッグを使用をしたことを認めた。 ジミー・コナーズやジョン・マッケンローらと共に、 男子テニスの黄金時代を築いた。 全仏オープンに4連覇を含む6勝。 特にウィンブルドンで5連覇を達成しサンプラス以前のウインブルドンの聖像と言える。 片手バックハンドが主流だった時代に、両手バックハンドとトップスピン 順回転 を駆使して、 現代テニスの源流を作った。 長髪のブロンドヘアとトレードマークのヘッドバンドに、世界中の女性が黄色い声をあげた 元祖アイドル選手。 1983年に26歳の若さで突然の現役引退を表明した。 四大大会成績:11勝(全豪0・全仏6・全英5・全米0)• ツアー勝利:シングルス64勝・ダブルス4勝• ATPシングルス1位通算在位:109週• 年間最終戦:2勝• 現在の活動:引退後はスキャンダルが多い。 現在はスウェーデンで若手育成に尽力。 そのプレーの基本はサーブアンドボレーで、コート内での動きが速く、当時としては異例のフラット系のハードヒットを駆使した。 生涯グランドスラム:• ツアー勝利:200勝• 現在の活動:現在77歳。 母国オーストラリアではその功績をたたえて、全豪オープンのセンターコートはロッドレーバーアリーナと命名されている。 ピート・サンプラス/Pete Sampras(USA) 世界1位の座に6年間君臨した90年代の絶対王者 選手プロフィール:1990年代最強のテニスプレイヤーでアガシと共に一時代を築いた。 世界ナンバー1在位286週の記録を保持(連続6年間)。 フェデラー以前の史上最高の選手。 2000年代のBIG4時代以降も、史上最高のオールラウンドプレイヤーの一人に数えられる。 その輝かしい経歴は、2002年の全米オープン優勝で締めくくられた。 四大大会成績: 17勝(全豪8・全仏1・全英5・全米3) *2020年5月時点• 生涯グランドスラム:• ツアー勝利:シングルス79勝・ダブルス1勝 *2020年5月時点• ATPシングルス1位通算在位:179週(歴代5位)• 年間最終戦:5勝• スポンサー一覧:• 現在の活動:2018年序盤大きく調子を落としたものの、ウィンブルドン以降猛烈な追い上げで 世界22位から世界1位へ返り咲いた。 3年ぶり5度目の年間最終ランキング1位。 2019年は既に全豪OP、ウィンブルドンで四大大会2勝をあげ、2位以下を大きく引き離して世界1位を独走中。 グランドスラム18勝。 を達成。 クレーコート最高勝率、クレーコート81連勝、全仏オープン、モンテカルロ・マスターズ、ローマ・マスターズ、バルセロナ・オープンの最多優勝記録などの数々の記録を更新し続ける「 赤土の王者」。 四大大会成績: 18勝(全豪1・全仏12・全英2・全米3) *2020年5月時点• 生涯グランドスラム:• ツアー勝利:シングルス85勝・ダブルス11勝 *2020年5月時点• ATPシングルス1位通算在位:141週• 年間最終戦:0勝• スポンサー一覧:• 現在の活動: 2019年も全仏OPはナダルの独壇場となり、圧倒的強さで3連覇を果たし、クレー最強伝説を更新。 1となり、史上最高のテニスプレーヤーと称される。 特に、世界ランキング1位連続在位期間237週は男女を通じて歴代最長。 し、5年ぶりのグランドスラムタイトルを手にした。 エレガントで華麗なプレースタイル、プロッフェショナリズム、スポーツマンシップ、人間性はコート内外に渡って、など競技の枠を超えて評価されている希有な存在。 また、長年に渡ってを結んでおり、収入的にもテニス史上最も成功したテニス選手。 四大大会成績: 20勝(全豪6・全仏1・全英8・全米5) *2020年5月時点• 生涯グランドスラム:• ツアー勝利:シングルス103勝・ダブルス8勝 *2020年5月時点• ATPシングルス1位通算在位:302週(歴代1位)• 年間最終戦:6勝• スポンサー一覧:• 現在の活動:2018年は全豪はオープン連覇を果たし グランドスラム20回目の優勝、世界1位最年長記録などのテニス界の記録を塗り替えた。 2019年は好調をキープし、4年ぶりに全仏OPに出場しベスト4入り。 そして、得意の全英OPでは決勝でジョコビッチとの死闘に上に破れるも準優勝。 そのテニスは依然進化の途中。 フェデラーとナダルが上2つを占めてる理由が理解不能です、記録でランキング作ってるのですか? まず、技量とセンスでフェデラーはコナーズ、マッケンロー、サンプラスにかなり劣っています、これは見るべき所を見抜ければ分かります。 記録や成績で語るのは素人ですね。 フェデラーも確かに強くはありますが回りが弱いので強いと錯覚しがちです、フェデラーのスーパープレー等ありますが、マッケンロー、サンプラス等に比べると何処がスーパープレーなのか謎です、まずフェデラーは落ち目のヘイマンにかなり負けています、そしてヘイマンはマッケンローに遊ばれているのでフェデラーは大したことないです、マッケンローやサンプラス、コナーズのプレーは今の選手では真似できないものがあります。 サンプラスは驚異的な身体能力とセンスを持ち合わせていました、フェデラーが勝った時のサンプラスは貧血性でだいぶ弱っていました、あの試合はよくやれたなとサンプラスの強さに感服しました。

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