あまの じゃ く 歌っ て みた。 歌茶屋 (うたぢゃや)

【あまの*】from Y to Y【歌って再編集してみた】 歌ってみた ニコニコ動画のニコッター

あまの じゃ く 歌っ て みた

神話での記述 [ ] 古事記 [ ] で身の潔白を証明した天地開闢道統之七世之「秦」は、「河洛道統」~ 「に居座った。 そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に乱暴を働いた。 他の神はに苦情をいうが、天照大御神は「考えがあってのことなのだ」と須佐之男命をかばった。 しかし、天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだを落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。 ここで天照大御神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。 もも闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。 そこで、が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。 の案により、さまざまな儀式をおこなった。 常世の長鳴鳥()を集めて鳴かせた。 鍛冶師のを探し、に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、(やたのかがみ)を作らせた。 に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(・やさかにのまがたま)を作らせた。 とを呼び、雄のとははかの木で占い()をさせた。 を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡とをかけ、布刀玉命がとして奉げ持った。 天児屋命が(のりと)を唱え、が岩戸の脇に隠れて立った。 が岩戸の前にを伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。 すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。 岩戸神楽ノ起顕(三代豊国) これを聞いた天照大御神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。 天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命が天照大御神に鏡を差し出した。 鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。 すぐに布刀玉命がを岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。 こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。 八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。 日本書紀 [ ] 大日本名将鑑() 『』の第七段の本文では、素戔嗚尊が古事記と同様の暴挙を行う。 最後には天照大神が神聖な衣を織るために清浄な機屋(はたや)にいるのを見て、が皮を剥いだ天斑駒を投げ込んだ。 すると、天照大神は驚いて梭で自分を傷つけた。 このため天照大神は怒って、天石窟に入り磐戸を閉じて籠ったので国中が常に暗闇となり昼夜の区別もつかなかった、とある。 そこで、八十萬神(やそよろづのかみ)たちは天安河の河原に集まり、祷(いの)るべき方法を相談した。 以下が神のとった行動である。 :深く思慮をめぐらし、常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて長く鳴かせた。 :(思兼神の指示で)磐戸の側(そば)に立つ• と:の繁ったを掘り起こし、上の枝には八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)をかけ、中の枝にはあるいは眞経津鏡(まふつのかがみ)をかけ、下の枝には青い布帛(ふはく)と白い布帛をかけ共に祈祷をした。 :手に蔓(つる)を巻きつけた矛を持ち、天石窟戸の前に立って巧に俳優(わざおさ)を作す(見事に舞い踊った)。 また、天香山の榊を鬘(かづら)としてまとい蘿(ひかげ)を襷(たすき)にし、火を焚き桶を伏せて置いて、顕神明之憑談(かむがかり)をした。 天照大神はこれを聞いて、「私はこの頃、石窟に籠っている。 思うに、は長い夜になっているはずだ。 どうして天鈿女命はこのように笑い楽しんでいるのだろう」と思い、手で磐戸を少し開けて様子を窺った。 すると手力雄神が天照大神の手を取って、引き出した。 そこで天児屋命と太玉命がを張り渡し、「再び入ってはなりません」と申し上げた、とある。 話の流れは古事記と同様だが、細部に若干の違いがある。 特に、天鈿女命は「巧に俳優行す」とあるのみで、おどけたしぐさや、神々が笑ったという描写はない。 その後、神々はを素戔嗚尊に負わせ、の品々を科した。 それ以外に髪を抜き手足の爪を剥いで償わせたとも言う、とある。 こうして、素戔嗚尊は高天原から追放された。 第七段一書(一)では、この後、(わかひるめ)が清浄な機屋で神聖な衣を織っていると、素戔嗚尊が天斑駒の皮を逆さに剥ぎ御殿の中に投げ入れた。 「稚日女尊は驚きて機墮ち所持せる梭によりて体を傷め神退(かむざ)りき」。 天照大神は素戔嗚尊に、「汝は黒心(きたなきこころ)あり。 汝と相い見えんと欲(おも)わず」と語り、天石窟に入って磐戸を閉じた。 「是に天下(あめのした)恆(つね)に闇(くら)く、また昼・夜の殊(わかち)無し」とある。 そこで、八十萬神たちは天高市(あめのたけち)で相談した。 の子の思兼神がし、「その神(天照大神)の姿を映し出すものを作って、招き寄せましょう」と申し上げた。 そして、に天香山の金(かね)を採らせ、日矛(ひほこ)を作らせた。 また、美しい鹿の皮を剥いで天羽鞴(あめのはぶき)を作らせた、とある。 この一書では、が梭で傷ついて死んだとされる。 ワカヒルメは天照の妹神とも子神ともする神社がある。 また、作らせた鏡は紀伊國に鎮座する日前神(ひのくまのかみ)である、とあるため鏡は(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)と同一とされる。 第七段一書(二)では、素戔嗚尊が本文同様の暴挙を行うが、「然れども、(ひのかみ)、親み恩(めぐ)む意(こころ)にして、怒らず恨まず、皆、平らかな心以ちて容(ゆる)しき」とある。 しかし、嘗(にひなへ)を行う時に、素戔嗚尊は新宮(にひなへのみや)の席の下にこっそりと糞をした。 日神は気づかずに席に座ったため、体中が臭くなってしまう。 そのため怒り恨みて、天石窟に入ってその磐戸を閉じた、とある。 そこで神々は困り、神(あめのぬかど)に鏡を、太玉命にを、(とよたま)に玉を作らせた。 また、神(やまつち)に多くの玉で飾った榊を、(のづち)に多くの玉で飾った小竹(ささ)を作らせた。 それらの品々を持ち寄って集まり、天児屋命が(かむほぎ)を述べたため、日神は磐戸を開けて出てきた、とある。 そうした後、神々は罪を本文同様に素戔嗚尊に負わせ贖罪の品々を科して差し出させ、高天原から追い払った。 第七段一書(三)では、素戔嗚尊は自らが与えられた土地(天杙田(あまのくいた)・天川依田(あまのかわよりた)・天口鋭田(あまのくちとた))は、日神の土地(天安田(あまのやすだ)・天平田(あまのひらた)・天邑田(あまのむらあわせた))に比べ痩せた土地だったため、妬(ねた)んで姉の田に害を与えた、とある。 日神は最初は咎めず、常に穏やかに許していた、とあるが結局、天石窟に籠るのである。 その為、神々はを遣わして祷らせることにした。 以降が神々のとった行動である。 天兒屋命:天香山の榊を掘り起こす。 ((こごとむすひ)の子)• (いしこりとべ):作った八咫鏡を上の枝にかける。 ((あめのぬかど)の子)• (あめのあかるたま):作った八坂瓊之曲玉を中の枝にかける。 (の子)• あめのひわし):作った(ゆふ)を下の枝にかける。 太玉命:榊を持ち、広く厚く称える言葉によって祷る。 すると、日神は「頃者(このごろ)、人、多(さわ)に請(こ)うと雖(いえ)ども、未(いま)だ若此(かく)言(こと)の麗美(うるわ)しきは有らず。 」 意味:「これまで人がいろいろなことを申してきたが、未だこのように美しい言葉を聞いたことはなかった」 と言って、磐戸を少し開けて様子を窺った。 その時、磐戸の側に隠れていた天手力雄神が引き開けると、日神の光が国中に満ち溢(あふ)れた、とある。 そこで、神々は大いに喜び、素戔嗚尊に贖罪の品々を科し、手の爪を吉の物として切り棄て、足の爪を凶の物として切り棄てた。 そして天兒屋命をして其の解除(はらえ)の太諄辭(ふとのりと)を掌(つかさど)りて宣(の)らしめき、とある。 後、素戔嗚尊は「神々は私を追い払い、私はまさに永久に去ることになったが、どうして我が姉上に会わずに、勝手に一人で去れるだろうか」と言い天に戻る。 すると天鈿女命がこれを日神に報告する。 日神は、「我が弟が上って来るのは、 また好意(よきこころ)からではないはず。 きっと我が国を奪おうとしているのだ。 我は女だが逃げるほどでは無い」と言ってした、とある。 そして二神でが行われる運びになる。 この一書は、話の筋立てが他とは異なり、思兼神が登場しないなど大きな特徴がある。 世界の神話 [ ] インドネシア・タイ・トルコ・モンゴル・中国南部・サハリンなどアジアには広く射日神話・招日神話が存在する。 特に中国南部の少数民族に天岩戸と似た神話が多い。 ミャオ族は、九個の太陽と八個の月が一斉に出てきた。 弓矢で八個の太陽と七個の月を刺し殺す。 残った一つずつの日月は隠れてしまった。 天地は真っ暗。 知恵者を集めて相談しオンドリを鳴かせる。 オンドリは翼を叩いて三度鳴くと日月が顔を出した。 プーラン族は、太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。 八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。 逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。 世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。 一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。 月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。 そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。 ペー族には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。 子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。 そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。 両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。 そこで蛙は天を、鶏は地を探した。 鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。 人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。 その他の少数民族にもさまざまなパターンで存在する。 中には太陽と月を射殺した者が逃れて隠れた太陽と月に色々捧げてなんとか外に出て来てもらう神話や、美声を使って出て来てもらう神話もある。 中国北方の馬の文化では太陽を男性とみなし、南方の船の文化では太陽が女性として信仰されていた。 シベリアでもナナイ族やケト族など太陽を女とみる少数民族が多い。 天岩戸と呼ばれる場所 [ ] 天岩戸神社西本宮(宮崎県高千穂町) 天岩戸説話は天上界の出来事であるが、「ここが天岩戸である」とする場所や関連する場所が何箇所か存在する。 天の岩戸 [ ]• 滋賀県米原市弥高 - 平野神社。 京都府 - 皇大神宮(元伊勢内宮)、岩戸神社。 - 岩戸社。 「天岩戸神社」 - の南麓。 外宮 - 「」。 昭和時代に入山が禁止された。 三重県二見町 - 「天の岩屋」• 三重県 -• 「手力雄神社」「史跡めぐり」• - 岩戸川の河口北。 - 岩戸神社。 - 茅部神社の山の上方。 - 天の岩戸神社の神域にある。 秋穂二島岩屋 - 塩作りの海人の在住地、防府市の玉祖命の神社に近い。 大字岩戸 - の神域にある。 同神社西本宮の背後、岩戸川を挟んだ対岸の岸壁にあり、社務所に申し込めば案内付きで遥拝所へ通してくれる。 周辺にはなど、日本神話、特に岩戸隠れ神話にまつわる地名が多く存在する。 「クマヤ洞窟」 - 全国に数多ある「天の岩戸伝説」の中で最南端地。 岐阜県高山市 - 位山。 岩戸 [ ]• 坂戸市場 坂戸神社(袖ヶ浦市)天岩戸のかけらという伝承の岩、天磐戸の石碑がある。 戸隠 には、岩戸が落下してきた伝承がある。 和良町。 天岩戸のかけらという伝承の岩がある。 この地まで飛ばされてきたという岩がある。 伊勢神宮の「神鶏」 [ ] を集めて鳴かせたことから、 [ ]の内宮では「神苑」という庭園に「神鶏」と呼ばれる鶏を放し飼いにしている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 52-53頁。 53-54頁。 54-55頁。 55-57頁。 59頁。 荻原真子 『北方諸民族の世界観 - アイヌとアムール・サハリン地域の神話・伝承』 草風館、1996年2月。。 [ ]• 百田弥栄子 『中国神話の構造』 三弥井書店、2004年6月。。 [ ]• 吉田敦彦他 『世界の神話伝説 総解説』 〈Multi book〉、2002年7月。。 [ ]• 『中国神話の構造』 三弥井書店、2004年6月。。 [ ]• 村松一弥編訳 『苗族民話集 - 中国の口承文芸2』 〈 260〉、1974年。。 [ ]• 萩原秀三郎 『稲と鳥と太陽の道 - 日本文化の原点を追う』 、1996年7月。。 [ ]• 『「馬」の文化と「船」の文化 - 古代日本と中国文化』 、1996年1月。。 『シベリア民話集』 〈〉、1988年12月。。 伊勢神宮の歩き方. 三重県観光連盟. 2016年9月26日閲覧。 47NEWS. 2016年6月14日. 2016年9月26日閲覧。 参考文献 [ ]• 『日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ』神谷礼子画、〈 63〉(原著2003年10月26日)、初版。 2009年12月6日閲覧。 『日本神話事典』ほか編、、監修、、1997年6月。 佐佐木隆 「天の岩戸」、26-27頁。 寺川真知夫 「天石屋戸神話」、27-29頁。 関連項目 [ ]•

次の

歌茶屋 (うたぢゃや)

あまの じゃ く 歌っ て みた

無数にある歌のうち、「最も恐ろしい歌」として挙げるとすると、自分は躊躇無く中島みゆきの「うらみ・ます」を選ぶ。 中島みゆきが泣きながら歌うこの歌は、それほど「怖い歌」なのである。 歌詞も怖いが、歌い方も怖い・・・。 「女の恐ろしさ」がこれほどまでに表現されるとは・・・。 この歌はスタジオライブで、一発で録音OKになったという。 実際に聞いてみると、確かにこの歌は、カラオケとともに後から歌だけ録音するような手段では、到底実現できない事が良く分かる。 バックも含めて実に緊張感あふれる一発録音であり、最後のフレーズの「死ぬまで~~」と中島みゆきが伴奏なしで声を伸ばしていて、バックが伴奏を入れるタイミングも、あまりの緊張感から、バックが待ちきれなくて音を発してしまうのも聞きどころ・・・・。 まさに、ライブならではの緊張感がみなぎった録音である。 少し聞いてみよう <中島みゆき「うらみ・ます」> 「うらみ・ます」 作詞・作曲 中島みゆき うらみますうらみます あたしやさしくなんかないもの うらみますいいやつだと 思われなくていいもの 泣いてるのはあたし一人 あんたになんか泣かせない ふられたての女くらいだましやすいものはないんだってね あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの うらみますうらみます あんたのこと死ぬまで 雨が降る雨が降る 笑う声のかなたから 雨が降る雨が降る あんたの顔が見えない ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの うらみますうらみます あんたのこと死ぬまで ふられたての女くらいおとしやすいものはないんだってね ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと うらみますうらみます あんたのこと死ぬまで うらみますうらみます あんたのこと死ぬまで の解説で、谷川俊太郎が「うらみ・ます」についてこう書いている。 「・・・「うらみ・ます」を初めて聞いて、たじろがない人はいないのではないか。 泣きながら歌う中島みゆきの声は余りにも私的だ。 実際に彼女は特定の誰かをうらんでいて、その感情をまっすぐに歌っているのだと私たちは思いこむ。 同時に私たちはそれが演技なのではないかとも疑う。 ・・・・・・ ・・・例えば題名の「うらみ・ます」のうらみとますの間に入っている黒い小さな点は、いったいなんだろうというようなことが気にかかってくる。 一息に言うのではなく、いったん息をのみこんでいて、その微妙なためらいのようなものが、うらんでいる自分をみつめる、もうひとりの自分の存在を感じさせる。 黒い点はいわばからだからわき出る自然な感情の流れを、意味で中断する。 ・・・・レコードの「うらみ・ます」はスタジオライブで、しかも1回だけの録音でできたということだ。 そういう選択にも作者の意図が感じられる。 それは賞をもらって泣く新人歌手の涙とは、似ても似つかぬものだ。 ・・・」 前に家族で旅行に行ったとき、旅館の地下のカラオケボックスで、自分がこの歌を歌ったら、皆が「怖~い~」と恐れおののいた。 とにかく中島ゆみきは大大・・・大歌手である。 谷川俊太郎氏と中島みゆきとの対談記事である。 「・・・・・・ 中島 愉しいから……ねえ。 うん、そうとは言いきれないですね。 あたしの歌、あんまりランランランと愉しい歌って、ないんですよね。 そういうのも書けるようになれたら、もっと私自身ね、人あたりが良くなるんでしょうけども、まだまだ、人に冷たいんですよね、あたし。 でね、たまーにね、自己嫌悪に陥っちゃうの。 谷川 その結果としての歌を書くっていうことになるわけ? 中島 うん(笑)。 それにさ、あたし、人の悪口、いっぱい書いてるから。 谷川 それも、あなたの言う罪のなかに入ってるの? 中島 入ってる。 谷川 やっと具体的に、罪が出てきたな(笑)。 それじゃ、私小説的にあなたの歌を聴いていいわけだ。 中島 私小説って何だっけ。 あ、そうか。 そういうことになるのかな。 谷川 でも、まさか小学校のときには、そんな歌を書いてたんじゃないでしょう。 中島 身の回りのことだったと思うから、いまと似たようなもんじゃないかな。 谷川 その当時から男友だちへの恨みを書いてたなんて、ちょっとね。 中島 あはは……。 そういえば、もてなかったもんなあ。 谷川 その恨みつらみで歌を書いてるの? 中島 そう。 もててりゃ、歌なんか書きゃしなかった、なんて(笑)。 谷川 小学校で習った唱歌の添削じゃない歌は、いつごろから書き始めたの。 中島 中学校ぐらいからじゃないかな。 人前に出す歌じゃなかったけど。 個人的なうさ晴らしみたいなのが多くって。 谷川 いま歌を書くときも、やっぱり、口に出しても本当はしようがないと思えることを書いて、解放しているというところもあるんじゃない? 中島 そうですね。 やっぱりそうでしょうね。 それでもまだ、ごく個人的な、名前とかね、そういうのは極力書かないようにしてるつもりなんですけれど……。 谷川 それまで書いたら、もっとすごい歌になるわけだ。 中島 あらー、そしたら、明日からお遍路さんに出なきゃならなくなっちゃうわ。 谷川 何だか、マグダラのマリアみたいに罪深い人なんだね(笑)。 じゃ、「うらみ・ます」なんかは、どうなんですか。 あれ、アルバムのなかでは泣き声になってるでしょう。 中島 あ、そうですか。 それ、よくボロクソに言われるんですよ。 聞きづらいから、もうちょっとちゃんと声の出てるテイクのをね、OKにしてレコードとしては出すべきじゃなかったのかって。 だけど残念ながら、あれは、一回しか録音しなかったんですよね。 谷川 あの歌は、どんな状態で録音したんですか。 中島 あれはスタジオライヴつていうのかな。 ミュージシャンと大体の流れを合わせておいてから。 谷川 じゃ、マルチーチャンネルで録ったんじゃなくて、生演奏で。 中島 ええ。 谷川 あれ、本当に泣いてたの? 中島 おしえてあげないの。 谷川 そのへんは、自分の意識のなかでは分けてたんですか。 これは本当に泣いてるわけじゃない、というふうに。 中島 おしえてあげないの。 谷川 じゃ、本気なんだ。 泣きたくはなかったの? 中島 おしえてあげない。 谷川 だけど泣かずにはうたえなかったわけですか。 中島 おしえてあげない。 谷川 ありがとう。 おしえてくれなくて。 あなたの歌みたいにすてきな答えかただね。 でもさ、しつこいけど、リテイクすることだってできたわけでしょう。 だけど、あのテープがいいということになったの? 中島 あのLP全体をね、いってみれば実況中継でつくってみようってつもりだったの。 谷川 あなたの歌が私小説的であるとすると、自分がいままでつくってきた歌を振り返ってみたときには、それまでの生活の軌跡が自分でわかるわけですか。 中島 軌跡……ですか? ちょっとまだ、それはどの意識ではないですね。 」(新潮文庫「中島みゆき ミラクル・アイランド」~対談:谷川俊太郎/中島みゆきp14~17より) (関連記事) うーん、さすがです、酔ってカラオケで「う・ら・み・ま・す」、凄い! 小生は酔わないとカラオケ出来ないシャイな人間ですが(素面だと自分の歌の貧しさに自己嫌悪に陥りますので)、「う・ら・み・ま・す」は歌った事はありません(悪酔いしそうなので) せいぜい、「江レーン」、「歌姫」、「二ソウの船」(変換出来ない!)、「生きていくおまえ」止まり、 アルバム「生きていてもいいですか」の最後の「異国」という曲も、みゆきさんが慟哭しながらの歌唱です(これは、長ーい曲) 小生と致しましては、最近はこのアルバムの中の「蕎麦屋」がスローライフな曲で、よく歌っています。 みゆきさん、大相撲嫌いなのかな? 投稿: リュウちゃん6796 2010年1月25日 月 23:01 中島みゆきの曲は地上の星などを通して知るようになりましたが、このごろ特に興味をもちだしました矢先にこの曲を聞くことになりました。 びっくりしています。 彼女の曲を集中して聞いて見たくなりました。 自作自演の俳優のようですね。 『うらみ・ます』も面白いタイトルですね。 想像を掻き立てるではありませんか?その点、心裡を巧みに掴んでいますね。 音で小説を書いているようですね。 脚本も書き、演出もし、演じることもできると言う、マルチのタレントですね。 彼女は・・。 【エムズの片割れより】 さだまさしも天才だと思いますが、中島みゆきもまさに天才。 その世界は広大で、到底ついて行けません。 投稿: 中野 勝 2011年7月21日 木 04:41 この歌は確かに怖い歌だと思われがちですが、本意はあなたを愛していますという歌だと思います。 捨てられて愛してます、と言えなくて、ただうらみますとしか言えない女の歌です。 恨んで男に復讐しようとかストーカーになってやるとかいう意味でなく、裏切られ、捨てられても自分の心の中で貴方を死ぬまで愛し続けますという歌だと思います。 うらみますの歌詞の所を愛してますとうたっているんだと思ってもう一度聴いてみて下さい。 全く別の歌になりますよ。 【エムズの片割れより】 まったくその通りだと思います。 そんな気持ちで聞いてみると、最初の「うらみます」という歌い方も、可愛く「うらみます」と歌っていますね。 しかし中島みゆきの世界は、深いですね。 投稿: 仁 2015年8月17日 月 02:32 はじめまして。 「あぐら物語日記」のrokoと申します。 本日こちらの記事を紹介させていただきましたのでお知らせします。 ありがとうございます。 」という部分、私には「もうひとり~」としか思えないのですが本文を見ていないので何とも言えません。 ただ、気になって気になって…。 誠に勝手ですが、この点について教えていただきたく宜しくお願い致します。 【エムズの片割れより】 ご丁寧にありがとうございます。 それと、誤字、大変失礼しました。 キーがひとつ滑ったようで・・・。 修正しました。 ついでに、オリジナルの文の画像をアップしました。 投稿: 2017年9月17日 日 19:02.

次の

上白石萌音「ルックスじゃない武器」が強すぎる|エンタMEGA

あまの じゃ く 歌っ て みた

神話での記述 [ ] 古事記 [ ] で身の潔白を証明した天地開闢道統之七世之「秦」は、「河洛道統」~ 「に居座った。 そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に乱暴を働いた。 他の神はに苦情をいうが、天照大御神は「考えがあってのことなのだ」と須佐之男命をかばった。 しかし、天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだを落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。 ここで天照大御神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。 もも闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。 そこで、が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。 の案により、さまざまな儀式をおこなった。 常世の長鳴鳥()を集めて鳴かせた。 鍛冶師のを探し、に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、(やたのかがみ)を作らせた。 に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(・やさかにのまがたま)を作らせた。 とを呼び、雄のとははかの木で占い()をさせた。 を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡とをかけ、布刀玉命がとして奉げ持った。 天児屋命が(のりと)を唱え、が岩戸の脇に隠れて立った。 が岩戸の前にを伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。 すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。 岩戸神楽ノ起顕(三代豊国) これを聞いた天照大御神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。 天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命が天照大御神に鏡を差し出した。 鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。 すぐに布刀玉命がを岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。 こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。 八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。 日本書紀 [ ] 大日本名将鑑() 『』の第七段の本文では、素戔嗚尊が古事記と同様の暴挙を行う。 最後には天照大神が神聖な衣を織るために清浄な機屋(はたや)にいるのを見て、が皮を剥いだ天斑駒を投げ込んだ。 すると、天照大神は驚いて梭で自分を傷つけた。 このため天照大神は怒って、天石窟に入り磐戸を閉じて籠ったので国中が常に暗闇となり昼夜の区別もつかなかった、とある。 そこで、八十萬神(やそよろづのかみ)たちは天安河の河原に集まり、祷(いの)るべき方法を相談した。 以下が神のとった行動である。 :深く思慮をめぐらし、常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて長く鳴かせた。 :(思兼神の指示で)磐戸の側(そば)に立つ• と:の繁ったを掘り起こし、上の枝には八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)をかけ、中の枝にはあるいは眞経津鏡(まふつのかがみ)をかけ、下の枝には青い布帛(ふはく)と白い布帛をかけ共に祈祷をした。 :手に蔓(つる)を巻きつけた矛を持ち、天石窟戸の前に立って巧に俳優(わざおさ)を作す(見事に舞い踊った)。 また、天香山の榊を鬘(かづら)としてまとい蘿(ひかげ)を襷(たすき)にし、火を焚き桶を伏せて置いて、顕神明之憑談(かむがかり)をした。 天照大神はこれを聞いて、「私はこの頃、石窟に籠っている。 思うに、は長い夜になっているはずだ。 どうして天鈿女命はこのように笑い楽しんでいるのだろう」と思い、手で磐戸を少し開けて様子を窺った。 すると手力雄神が天照大神の手を取って、引き出した。 そこで天児屋命と太玉命がを張り渡し、「再び入ってはなりません」と申し上げた、とある。 話の流れは古事記と同様だが、細部に若干の違いがある。 特に、天鈿女命は「巧に俳優行す」とあるのみで、おどけたしぐさや、神々が笑ったという描写はない。 その後、神々はを素戔嗚尊に負わせ、の品々を科した。 それ以外に髪を抜き手足の爪を剥いで償わせたとも言う、とある。 こうして、素戔嗚尊は高天原から追放された。 第七段一書(一)では、この後、(わかひるめ)が清浄な機屋で神聖な衣を織っていると、素戔嗚尊が天斑駒の皮を逆さに剥ぎ御殿の中に投げ入れた。 「稚日女尊は驚きて機墮ち所持せる梭によりて体を傷め神退(かむざ)りき」。 天照大神は素戔嗚尊に、「汝は黒心(きたなきこころ)あり。 汝と相い見えんと欲(おも)わず」と語り、天石窟に入って磐戸を閉じた。 「是に天下(あめのした)恆(つね)に闇(くら)く、また昼・夜の殊(わかち)無し」とある。 そこで、八十萬神たちは天高市(あめのたけち)で相談した。 の子の思兼神がし、「その神(天照大神)の姿を映し出すものを作って、招き寄せましょう」と申し上げた。 そして、に天香山の金(かね)を採らせ、日矛(ひほこ)を作らせた。 また、美しい鹿の皮を剥いで天羽鞴(あめのはぶき)を作らせた、とある。 この一書では、が梭で傷ついて死んだとされる。 ワカヒルメは天照の妹神とも子神ともする神社がある。 また、作らせた鏡は紀伊國に鎮座する日前神(ひのくまのかみ)である、とあるため鏡は(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)と同一とされる。 第七段一書(二)では、素戔嗚尊が本文同様の暴挙を行うが、「然れども、(ひのかみ)、親み恩(めぐ)む意(こころ)にして、怒らず恨まず、皆、平らかな心以ちて容(ゆる)しき」とある。 しかし、嘗(にひなへ)を行う時に、素戔嗚尊は新宮(にひなへのみや)の席の下にこっそりと糞をした。 日神は気づかずに席に座ったため、体中が臭くなってしまう。 そのため怒り恨みて、天石窟に入ってその磐戸を閉じた、とある。 そこで神々は困り、神(あめのぬかど)に鏡を、太玉命にを、(とよたま)に玉を作らせた。 また、神(やまつち)に多くの玉で飾った榊を、(のづち)に多くの玉で飾った小竹(ささ)を作らせた。 それらの品々を持ち寄って集まり、天児屋命が(かむほぎ)を述べたため、日神は磐戸を開けて出てきた、とある。 そうした後、神々は罪を本文同様に素戔嗚尊に負わせ贖罪の品々を科して差し出させ、高天原から追い払った。 第七段一書(三)では、素戔嗚尊は自らが与えられた土地(天杙田(あまのくいた)・天川依田(あまのかわよりた)・天口鋭田(あまのくちとた))は、日神の土地(天安田(あまのやすだ)・天平田(あまのひらた)・天邑田(あまのむらあわせた))に比べ痩せた土地だったため、妬(ねた)んで姉の田に害を与えた、とある。 日神は最初は咎めず、常に穏やかに許していた、とあるが結局、天石窟に籠るのである。 その為、神々はを遣わして祷らせることにした。 以降が神々のとった行動である。 天兒屋命:天香山の榊を掘り起こす。 ((こごとむすひ)の子)• (いしこりとべ):作った八咫鏡を上の枝にかける。 ((あめのぬかど)の子)• (あめのあかるたま):作った八坂瓊之曲玉を中の枝にかける。 (の子)• あめのひわし):作った(ゆふ)を下の枝にかける。 太玉命:榊を持ち、広く厚く称える言葉によって祷る。 すると、日神は「頃者(このごろ)、人、多(さわ)に請(こ)うと雖(いえ)ども、未(いま)だ若此(かく)言(こと)の麗美(うるわ)しきは有らず。 」 意味:「これまで人がいろいろなことを申してきたが、未だこのように美しい言葉を聞いたことはなかった」 と言って、磐戸を少し開けて様子を窺った。 その時、磐戸の側に隠れていた天手力雄神が引き開けると、日神の光が国中に満ち溢(あふ)れた、とある。 そこで、神々は大いに喜び、素戔嗚尊に贖罪の品々を科し、手の爪を吉の物として切り棄て、足の爪を凶の物として切り棄てた。 そして天兒屋命をして其の解除(はらえ)の太諄辭(ふとのりと)を掌(つかさど)りて宣(の)らしめき、とある。 後、素戔嗚尊は「神々は私を追い払い、私はまさに永久に去ることになったが、どうして我が姉上に会わずに、勝手に一人で去れるだろうか」と言い天に戻る。 すると天鈿女命がこれを日神に報告する。 日神は、「我が弟が上って来るのは、 また好意(よきこころ)からではないはず。 きっと我が国を奪おうとしているのだ。 我は女だが逃げるほどでは無い」と言ってした、とある。 そして二神でが行われる運びになる。 この一書は、話の筋立てが他とは異なり、思兼神が登場しないなど大きな特徴がある。 世界の神話 [ ] インドネシア・タイ・トルコ・モンゴル・中国南部・サハリンなどアジアには広く射日神話・招日神話が存在する。 特に中国南部の少数民族に天岩戸と似た神話が多い。 ミャオ族は、九個の太陽と八個の月が一斉に出てきた。 弓矢で八個の太陽と七個の月を刺し殺す。 残った一つずつの日月は隠れてしまった。 天地は真っ暗。 知恵者を集めて相談しオンドリを鳴かせる。 オンドリは翼を叩いて三度鳴くと日月が顔を出した。 プーラン族は、太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。 八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。 逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。 世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。 一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。 月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。 そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。 ペー族には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。 子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。 そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。 両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。 そこで蛙は天を、鶏は地を探した。 鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。 人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。 その他の少数民族にもさまざまなパターンで存在する。 中には太陽と月を射殺した者が逃れて隠れた太陽と月に色々捧げてなんとか外に出て来てもらう神話や、美声を使って出て来てもらう神話もある。 中国北方の馬の文化では太陽を男性とみなし、南方の船の文化では太陽が女性として信仰されていた。 シベリアでもナナイ族やケト族など太陽を女とみる少数民族が多い。 天岩戸と呼ばれる場所 [ ] 天岩戸神社西本宮(宮崎県高千穂町) 天岩戸説話は天上界の出来事であるが、「ここが天岩戸である」とする場所や関連する場所が何箇所か存在する。 天の岩戸 [ ]• 滋賀県米原市弥高 - 平野神社。 京都府 - 皇大神宮(元伊勢内宮)、岩戸神社。 - 岩戸社。 「天岩戸神社」 - の南麓。 外宮 - 「」。 昭和時代に入山が禁止された。 三重県二見町 - 「天の岩屋」• 三重県 -• 「手力雄神社」「史跡めぐり」• - 岩戸川の河口北。 - 岩戸神社。 - 茅部神社の山の上方。 - 天の岩戸神社の神域にある。 秋穂二島岩屋 - 塩作りの海人の在住地、防府市の玉祖命の神社に近い。 大字岩戸 - の神域にある。 同神社西本宮の背後、岩戸川を挟んだ対岸の岸壁にあり、社務所に申し込めば案内付きで遥拝所へ通してくれる。 周辺にはなど、日本神話、特に岩戸隠れ神話にまつわる地名が多く存在する。 「クマヤ洞窟」 - 全国に数多ある「天の岩戸伝説」の中で最南端地。 岐阜県高山市 - 位山。 岩戸 [ ]• 坂戸市場 坂戸神社(袖ヶ浦市)天岩戸のかけらという伝承の岩、天磐戸の石碑がある。 戸隠 には、岩戸が落下してきた伝承がある。 和良町。 天岩戸のかけらという伝承の岩がある。 この地まで飛ばされてきたという岩がある。 伊勢神宮の「神鶏」 [ ] を集めて鳴かせたことから、 [ ]の内宮では「神苑」という庭園に「神鶏」と呼ばれる鶏を放し飼いにしている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 52-53頁。 53-54頁。 54-55頁。 55-57頁。 59頁。 荻原真子 『北方諸民族の世界観 - アイヌとアムール・サハリン地域の神話・伝承』 草風館、1996年2月。。 [ ]• 百田弥栄子 『中国神話の構造』 三弥井書店、2004年6月。。 [ ]• 吉田敦彦他 『世界の神話伝説 総解説』 〈Multi book〉、2002年7月。。 [ ]• 『中国神話の構造』 三弥井書店、2004年6月。。 [ ]• 村松一弥編訳 『苗族民話集 - 中国の口承文芸2』 〈 260〉、1974年。。 [ ]• 萩原秀三郎 『稲と鳥と太陽の道 - 日本文化の原点を追う』 、1996年7月。。 [ ]• 『「馬」の文化と「船」の文化 - 古代日本と中国文化』 、1996年1月。。 『シベリア民話集』 〈〉、1988年12月。。 伊勢神宮の歩き方. 三重県観光連盟. 2016年9月26日閲覧。 47NEWS. 2016年6月14日. 2016年9月26日閲覧。 参考文献 [ ]• 『日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ』神谷礼子画、〈 63〉(原著2003年10月26日)、初版。 2009年12月6日閲覧。 『日本神話事典』ほか編、、監修、、1997年6月。 佐佐木隆 「天の岩戸」、26-27頁。 寺川真知夫 「天石屋戸神話」、27-29頁。 関連項目 [ ]•

次の