もののけ 姫。 ナウシカに似ている?『もののけ姫』のテーマと5つの疑問を徹底考察

ナウシカに似ている?『もののけ姫』のテーマと5つの疑問を徹底考察

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舞台は中世の日本。 エミシ一族の長の家系にアシタカという青年がいましたが、ある理由によって村を追われてしまいます。 そして旅立った先でたどり着いたのはタタラ場と呼ばれる場所。 アシタカはそこでタタラ場の人間たちと自然との対立を知りました。 その後、森の神々のもとで暮らす「もののけ姫」ことサンと出会い、人間と自然とが共に生きる術はないのか、と悩むのでした。 そんなアシタカの悩みを他所に、タタラ場では人間たちが森に住む神・シシ神の首を獲ろうとしていました。 そしてついに、人間たちと森の神々の戦いが始まってしまうのです。 今回はこのあらすじを元に、それぞれの場面に隠された意味や裏設定を、ストーリーを追いながら紹介します。 エボシの治めるタタラ場には様々な人がいます。 特に目立つのが包帯を巻いた人々。 彼らはハンセン病の患者だとされています。 ハンセン病は本作の舞台となった、実際の中世の日本においても差別の対象でした。 エボシはそんな患者たちを匿い、タタラ場に住まわせていました。 また働いているたくさんの女性たちは、元はエボシと同じく売られていた女性。 奴隷として売られていた彼女たちをエボシは引き取り、働かせているのです。 タタラ場の住人たちは鉄を作ることを生業としていますが、中世日本においては製鉄業に従事していた人々も身分が低いとされ、差別の対象でした。 そういった「弱者」たちへの優しさも、エボシがタタラ場の住人たちから慕われていた理由のひとつだと考えられます。 本作全体を通してわかるように、サンは人間を憎んでいます。 その理由は彼らがサンの暮らす自然を壊しているから。 彼女は作中でも「私は山犬だ」と叫ぶシーンがありますが、これも彼女が自身を人間だと認めたくないからと言えるでしょう。 サンには赤ん坊の頃、モロの君を恐れた人間から生贄として差し出された過去があります。 その後モロの君に育てられたため、山犬たちを家族のように慕うようになりました。 そんな悲しい過去を持ったサンには、ある都市伝説が存在します。 それはエボシがサンの母親なのではないかというもの。 そもそもサンが生贄にされたのも、自然を壊す人間たちが山の神々の怒りを買ったからであり、人間たちを守るためにエボシ御前が我が子のサンを生贄にしたのではないか、ということです。 サンがタタラ場を襲った際にも、エボシが彼女を殺さなかったことがその証拠とされていますが、もしもそれが本当だとしたらとても切ないですね。 朝廷からシシ神を討って良いとの許可を受け、エボシとジコ坊率いる人間たちは自分たちの邪魔をする森の神々との戦いを始めます。 人間たちと戦った森の神々は、モロの君、乙事主、そしてシシ神。 乙事主はイノシシたちを率いて人間たちと戦いますが、怒りの余りタタリ神となりかけます。 宮崎も「タタリ神の姿は怒りが高ぶった様子を表している」とインタビューで答えており、神々は人間への怒りで憎しみの余り、その姿を変えてタタリ神となってしまうのではないでしょうか。 戦いをやめてタタラ場へ戻れというアシタカの説得も虚しく、ついにエボシたちはシシ神の首を取りました。 そしてシシ神の体から出てきた不気味な液体によって、戦っていた男たち諸共、山もタタラ場も壊滅してしまうのでした。 壊滅した山を見て、森が死んだと絶望するサンを励ましたアシタカは、サンと共にシシ神の首を取り戻し、シシ神へと返します。 デイダラボッチとなったシシ神は首を取り戻すと、朝日を浴びると同時に倒れて消えてしまいました。 すると風が吹き抜け、それによってアシタカの呪いも解けるのでした。 神々との戦いで傷を負いながらも生き延びたエボシは、タタラ場の住人たちにもう一度良い村を作ろうと語りかけます。 そして「アシタカは好きだ。 でも人間を許すことはできない」と言うサン。 アシタカはそれぞれの世界で共に生きようと語りかけ、アシタカはタタラ場で、サンは森で暮らしていくことを決めました。 その後2人は恋人同士になると宮崎監督は語っています。 宮崎のアメリカでのインタビューによると、サンとアシタカはずっと良い関係を続けていくそうです。 そしてアシタカは、サンとタタラ場の人たちのためにいろいろな努力を払うことになるとのこと。 そのためにアシタカは引き裂かれて傷だらけになりつつも、それを曲げずに生きていこうと思い、両方を大切にしようと思い続けるのです。 だからこそ彼の生き方は、今の時代を生きていく生き方に共通するのだと語りました。 サンとアシタカがラストシーンの後に進んだ道は、決して簡単なものではないのかもしれません。 しかし苦難はあるにしても、共生し双方が幸せになる方法、それがまさにサンとアシタカが選んだ道だと考えられます。 アシタカの「互いの世界で共に生きよう」という言葉がそれを象徴していると言えるでしょう。 また宮崎駿が触れているように、これは現代を私たちが生きて行く上でも心に留めておくべきことではないでしょうか。 国際化が進み、さまざまな文化を持つ人が混ざり合う中でどうすればいいのか?この映画はそれを考えるきっかけを与えてくれているのではないでしょうか。 「自然と人間」という『もののけ姫』と同じような対立構造が取られている『風の谷のナウシカ』。 1984年に発表されたこの作品の結末は、ナウシカが伝説の「青き衣の者」なのだということが判明し、王蟲たちが森へ帰っていくというもの。 『風の谷のナウシカ』は、あくまでも「自然崇拝」というスタンスを守っています。 つまり理想郷の構築を物語の着地点として描いているのです。 一方『もののけ姫』では、対立関係の決着が付けられることなく物語が完結します。 サンは共生を拒む姿勢に変化はなく、エボシは新しい村を作ると決意。 アシタカだけが唯一、人間と自然との共存実現に奮闘することになるのでしょう。 自然が勝つわけでもなく、人間が勝つわけでもないという、『もののけ姫』は根本的な問題がそう簡単に解決されないことを伝えているのです。 今まで考察を進めましたが、『もののけ姫』を通じて宮崎はなにを伝えたかったのでしょうか。 その答えは、「荒川強啓 デイ・キャッチ!」というラジオ番組において彼が答えたインタビューで読み解くことができます。 「 今まで子供たちに エールを送るための映画を作ってきたんです。 しかし、実際の子供たちが出会っている現実は、そんなエールだけでは済まされない。 多くの問題を子供たちは全部知っているんですね、本能的に」 「人類がやっていることは本当に正しいのか……という根源的な疑問に真正面から答えないと、元気に希望を持って生きろと言いながら、本当は子供たちの一番聞きたいことに答えていないことになる。 エンターテインメントの道を踏み外すけど、この映画を作らないと私たちはその先仕事をすることはできないだろうと思いつめたんです」 グロテスクなシーンやハンセン病を思わせる描写、そして終わりのない課題で溢れたストーリーを、あえて子供たちに見せた宮崎。 そこには、世界の本質をみせる機会を奪ってきたエンターテインメント作品への問題意識が現れています。 今回は『もののけ姫』のストーリーと、裏設定やシーンの意味について振り返りました。 長年愛される大作なだけあって、それぞれのシーンに深いテーマがありましたね。 宮崎駿の想いも確認することができました。 ストーリー全体を通して根底にあるのは「人間と自然」というテーマ。 自然に関して多くの問題が浮き上がっている現代だからこそ、見る人の胸を打つ作品と言えるでしょう。 さらに森のことを思って必死に戦うサンや、サンを守るアシタカから、私たちは大切な人のために戦う姿の美しさを感じることができます。 またキャッチコピーの「生きろ。 」や、それぞれ悩みながらも生き抜く登場人物の姿を通して、生きるものたちの持つ力強さに気付かされた方も少なくないはず。 『もののけ姫』は中世を舞台にしたファンタジーのようにも見えますが、現代を生きる私たちの心に響くテーマをたくさん持った作品なのです。

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映画「もののけ姫」フル動画を無料で視聴する方法!配信vsDVDレンタル|MoviesLABO

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タグ Chara Free! もののけ姫の原作絵本がある もののけ姫は1997年に発表されていますが、実はその4年前に同タイトルの絵本「もののけ姫」が発売されています。 1993年に発行された「もののけ姫」 宮崎駿作の絵本「もののけ姫」は映画の原作と言われています。 制作当初のタイトルは「もののけと姫」というものでした。 原作に登場するのもののけは、親しみやすい猫の姿をしています。 アシタカやサンも登場せず原作といってもタイトルが一緒のストーリーといっても過言ではありません。 原作はもののけ姫と全く違うストーリー 原作である「もののけ姫」は武士がもののけの屋敷の食料を盗み、見返りに娘(三の姫)を嫁に出すというもの。 ここまではなんとなく サンに共通するものがあります。 しかしその後武士は悪霊に取りつかれ、もののけと三の姫は苦労を重ね共に悪霊を追い払います。 最後にもののけと姫は心から結ばれるというのが原作のストーリーです。 原作は映画版とはだいぶ異なりますが、原作版の映画として見てみたいという声も多数上がっています。 原作との共通はサン 原作を見てみると、もののけに差し出された姫の名前が三の姫、この名がサンになったともいわれています。 また原作の中では、 国が生まれた時からの森が登場しています。 この森こそモロやシシ神が暮らす森なのかも知れません。 もののけ姫の時代はセリフから読み取れる もののけ姫を観ると戦国時代のような雰囲気を感じますが、実際の所はどの時代に設定されているのでしょうか。 その答えは難解なセリフの中に潜んでいます。 「大和との戦に敗れ五百有余年」 蝦夷の隠れ里のお婆さんは「大和との戦に敗れ五百有余年……」といっています。 ここでの戦は、平安時代に東北地方で起こった前九年の役や後三年の役を指しています。 この戦いは大和と呼ばれる源頼義らが、現在の東北地方である陸奥に攻め込んだ戦いです。 時代は1051年頃から1087年頃なので、この戦から500年程後ということになります。 簡単に計算すると、もののけ姫の時代は15世紀ごろと割り出せます。 15世紀といえば日本は 室町時代になります。 「明国のものは重くて使いにくい」 更にエボシ御前は日本に伝来されたばかりの鉄砲を持って 「明国のもの……」といっています。 明は1368年から1644年まで栄えた中国の王朝です。 鉄砲が日本に伝わったのは1543年といわれているので、 時代的に室町時代と合致しています。 シシ神様は共存世界のバランスをとる神.

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ジブリ映画「もののけ姫」壮大な世界と深いテーマに心が震える超大作!

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Contents• もののけ姫のサンとアシタカはやってる? もののけ姫のサンとアシタカはやってると言われています。 なぜそのような事が言われているのでしょうか? 実はこれは2018年の10月21日に、岡田斗司夫ゼミの岡田斗司夫さんが「本編を見る前に押さえておくべきポイント」として紹介された事で話題になったからなんです。 その中で岡田斗司夫さんは、もののけ姫のサンとアシタカは「大人の関係」で、具体的なシーンを交えながら紹介されています。 なのに一体誰が、サンとアシタカはやってると分かったのでしょうか? やってると分かったのは鈴木敏夫 それは洞窟シーンを見た日本の映画プロデューサーであり、スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫さんです。 鈴木敏夫さん宮崎駿監督に聞いたそうです。 「この時点で、2人はセックスしてますよね?」と。 いつもなら宮崎駿監督は、このように作品について何かを聞かれると「いや違う」とか「そうです」と答えるのに、この時は答えなかったそうです。 そこで鈴木敏夫さんが問い詰めると、 「そんなの、わざわざ描かなくてもわかりきってるじゃないですか!」 と宮崎駿監督は答えたそうです。 では我々もその洞窟シーンを見れば分かるのでしょうか? その洞窟シーンを見てみましょう。 もののけ姫のサンとアシタカの洞窟シーンは事後? もののけ姫のサンとアシタカの洞窟シーンは事後と言われているシーンがこちらです。 洞窟シーン 金曜日にやってたもののけ姫を。 30過ぎても中学生の時と同じ場面で萌える。 — BADBOY?? この起き上がった時にアシタカは、隣で寝ているサンを見ます。 するとサンはこのような状態で寝ていました。 これは獣に育てられているから変わった寝方をしているのですが、この時、サンの足が見えます。 この足が見えた事で鈴木敏夫さんはピンと来て、先程の言葉である「この時点で、2人はセックスしてますよね?」と聞いたのです。 そこからこのシーンは事後だと分かったそうですが、普通、このシーンを見て「事後(やった後の事)」だと分かりますか? ピンと来ますか? 私は全然ピンとも来ないし、そもそも「足が見えてるので寒いのでは?」とさえ思った程です。 笑 だから改めて見て見ました。 ですがそれでも全然分かりません。 なのでよくこのシーンでサンとアシタカはやったと分かった鈴木敏夫さんが凄いです。 また宮崎駿監督もそのつもりだった事にも驚きです。 て言うか、そのつもりならもっと分かりやすく書いてくれ!と言いたいです。 あっ!! それはダメか! だってそこまで描くと別の作品になってしまいますね。 でもなぁ~、何だかこのような事を聞くともののけ姫の見方が変わってしまいそうです。 もののけ姫のアシタカはカヤともやってる なんとアシタカは、 カヤともやってるそうです。 「何じゃコイツ!サンとやってるだけでもショックなのにカヤともやってるだと!?」 「ふざけんなよ!」 と聞こえて来そうです。 ではそのカヤとやってると言われるシーンはどこなのかご紹介します。 村の出口でカヤに呼び止められるシーン それはアシタカが村の出口でカヤに呼び止められるシーンです。 しかも夜に村を抜け出して。 この行動が、「アシタカはカヤともやってる」と言われる理由なんです。 何故かと言うと、カヤがいる村では、女性が一人でしかも夜中に男性に会う事事態がすでに「やった」と思われるようです。 そんな風習の村だそうです。 だからこのシーンを見てアシタカとカヤは、「やってる」と思われるんですって。 先程のサンと時にも言いましたが、やってるって分かりますか? 私は全然分かりません。 このシーンについて宮崎駿監督は、 「このシーンを見ておいて、そんなこともわからないようなヤツは、そもそも俺の映画はわからねえよ!」 と言う事何でしょうが、 「分かるかい!そんな設定は別に要らんし!」 と思ってしまいました。 もののけ姫のアシタカは黒曜石をサンにあげる アシタカはサンはおろか、カヤとまでやってる事が判明しました。 ですがそのアシタカは、カヤからもらった黒曜石の刀をあろう事かサンにあげてしまいます。 いや アシタカ 人から貰った黒曜石を別の女に勝手にあげるとか 駄目だろ! …と思ったけど 儂も細川忠興から貰った家紋 勝手に家臣にあげてたわ… — 伊達 政宗 datemasamune141 しかも直接手渡しではなく、モロの君の子供に投げて「サンに渡してくれ」という方法で。 どう思います? カヤが、「いつまでもお慕い申し上げます」と言いながら愛の告白をし、しかも「これからもずっとあなたのことを思います。 」とまで言っているのに。 それを軽々しくサンにあげるって信じられません。 しかもこの時アシタカは、「私もだ!いつもカヤを思おう」と言っているですよ? それを他の女性にあげるってどういう事やねん! 嘘ばっかし! と思ってしまいました。 いくらサンとやってるからと言ってもそれは無いでしょう。 カヤがあまりにも可哀想すぎます。 そう思うとアシタカは、いい男でも何でもないような気がします。 まとめ もののけ姫のサンとアシタカはやってる? 洞窟のシーンは事後なのかについて解説しました。 サンとアシタカはやってるそうで、しかもアシタカはカヤともやってる事が判明しました。 またアシタカは、カヤの愛の告白を受けながらもらった黒曜石の刀をいとも簡単にサンにあげています。 となれば、アシタカはクズ? 何だかそんな気がしてきました。 もののけ姫について合わせて読みたい記事はこちら!.

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