童謡・唱歌。 童謡・唱歌・アニメの楽譜と歌詞、無料試聴とダウンロード

童謡

童謡・唱歌

『童謡』とは 広い意味では、「子供向けの歌」のことをいいます。 大正時代の後期以降、西洋音楽を取り入れながらも、子供に歌われることを目的として作られた曲であり、唱歌やわらべうたは含みません。 日本国外の子供向け曲を日本語に訳したものについても、童謡の部類に入ります。 西洋音楽の7音階で作られています。 尋常小学校の音楽の教科書に載っていた曲です。 日本の自然を表現している曲が多くあります。 時代背景が関係しますが、戦争当時の国民の正直な心情は歌詞には載せず、異様に前向きで明るい表現になっていることさへあります。 戦争に反対するのが非国民と呼ばれた時代です。 学校用の教科書への掲載はタブーだったのでしょうね。 西洋音楽の7音階で作られています。 文部省唱歌を作った作詞者と作曲者には、文部省から特別高額な報酬が出され、作者が誰かというのは一切口外しないという契約がされたそうです。 『国が作った歌』という位置づけにとてもこだわったのだというのが良くわかります。 戦後より、文部省唱歌の作者たちがわかってきた作品もありますが、未だ不明なものは作詞作曲に「文部省唱歌」と記載されています。 唱歌でも歌曲に分類されるものもあります。 西洋音楽の7音階で作られています。 自由に作りかえられながら遊び仲間などによって伝承していきます。 伝統的要素がきわめて強く、地方によって多少違う歌詞やメロディーで、そこから変化しながら伝承していきます。 わらべうたには、まりつき・なわとび・鬼遊びなどの遊びの歌の他に、様々な数え歌があります。 わらべ歌は独特な音の流れですが、通称「ヨナ抜き音階」と言われる日本独特の音階で構成されています。 基準となるドから始まって、4番目のファと7番目のシが抜けているので、ヨナ抜きと呼ばれているんですね。 言葉と身振りを一体化させて、子供の言葉の習得や想像を膨らますために、幼児教育・保育・育児にも多く取り入れられています。 哀感や郷愁、懐かしさなどをそそるものを指し、大人が子供に聞かせても差しさわりのない曲です。 恋愛ものの演歌、軍歌、ヤクザに関わりがあるものは除きます。 童謡歌手によって歌われたり、テレビやラジオなどで懐かしの曲として紹介されるなど、他ジャンルとの境界線は曖昧で、広い意味としてとらえられています。

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「童謡」と「唱歌」の違いを解説!意味は?わらべうたもあるし?

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【全部ひらがなバージョンの歌詞】 1. うさぎ おいし かのやま こぶな つりし かのかわ ゆめは いまも めぐりて わすれ がたき ふるさと 2. いかに います ちちはは つつが なしや ともがき あめに かぜに つけても おもい いずる ふるさと 3. こころざしを はたして いつのひにか かえらん やまは あおき ふるさと みずは きよき ふるさと ふるさとの歌詞の意味 「ふるさと」の歌の意味です。 おおよその解釈としてお考えください。 小学生にもわかるようにしました。 野うさぎを追いかけまわした、あの山 小ぶなを釣って遊んだ、あの川 今でも夢に思い 忘れる事のできない 故郷の景色よ 2. 父や母はどうしておいでだろうか 一緒に遊んだ友達は変わらず元気だろうか 雨の日のように辛い時も 風の日のように困難な時も 思い出すのは故郷のこと 3. 冬の間、大人も子どもたちも参加した村の行事でした。 兎狩りとも言われ、野山や森林へ行って兎を捕獲し調理をしたようです。 雪深い山村で、貴重な食料だったのでしょう。 今はもう殆ど行われていないようです。 「雨の時も風の時も故郷を思い出す。 」と解釈しても、人それぞれの感じ方で良いと思います。 つまり「いつか帰りたい」という意味。 「きっといつか帰るぞ!」と決意を持った言い方に近いと思います。 だれが作ったの? 作詞者は 高野 辰之(たかの たつゆき 作曲者は 岡野 貞一(おかの ていいち) 1914年(大正3年)の尋常小学唱歌の第六学年用で発表されました。 楽曲名は漢字で「故郷」と書きます。 文部省唱歌の1つです。 (現文部科学省) 長野の山村で生まれた作詞者の高野辰之が 少年時代に遊んだ野山や情景を懐かしみ作った曲です。 現中野市の斑川 ハンガワ や大平山 オオヒラヤマ などの里山が、唱歌「故郷」のモデルとなっています 高野&岡野コンビ名曲の数々 作詞 高野&作曲 岡野コンビは「故郷」の他にも数々の日本の名曲を残しています。 童謡唱歌「故郷」の歌詞と意味をお届けしました。 歌詞の漢字や、文字使いは作詞者「高野辰之」の記念館にある歌碑と同じ文字使いにしました。 ひ=い あをき=青き 最後までお読みいただきありがとうございました。

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【童謡唱歌】「ふるさと」の全歌詞と意味!|故郷日本の歌【動画曲付き】

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歴史 [ ] 大正時代初期以前 [ ] 古くは子供の歌といえば、いわゆるであった。 期により近代音楽が紹介されると、学校教育用に唱歌()と呼ばれる多くの歌が作られた。 これらは徳育・情操教育を目的に、主にで書かれ、多くは日本の風景・風俗・訓話などを歌ったものである。 には童謡という語はわらべ歌を指し、明治時代から初期には、子供の歌という意味でも使われていた。 (大正8年)にから発売された「」のレコードには盤面に「童謡」の文字がある。 大正時代後期 [ ] こうした概念を一部に保持しながら「わらべ歌」「子供の歌」という意味で用いられてきた童謡という語に、「子供に向けて創作された芸術的香気の高い歌謡」という新しい意味付けをしたのはである。 鈴木は(大正7年)7月、児童雑誌『』の創刊を契機に「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな歌と曲」を子供たちに与えたいとして、そうした純麗な子供の歌を「童謡」と名付けた。 さらに当時は「子供たちが書く詩」も童謡と呼んでいた。 このため「童謡」という語には以降、• 子供たちが集団的に生み出し、伝承してきたわらべ歌(=自然童謡、伝承童謡)• 大人が子供に向けて創作した芸術味豊かな歌謡(=創作童謡、文学童謡)• 子供たちが書いた児童詩 という3つの概念が付与されていた。 これらの概念は時代の変遷に伴って変化したり混在したりした。 現在では狭義の「童謡」という語は2. の意味で定着しているが、近年ではその概念は大きく広げられ「童謡=子供の歌」としてとらえ、唱歌、わらべ歌、抒情歌、さらにテレビ・アニメの主題歌など全ての子供の歌を「童謡」という語で括ってしまう傾向が目立つ。 「童謡」(創作童謡)は児童雑誌『』の創刊によって誕生したといえるが、この雑誌に掲載された童謡には当初、曲()は付いていなかった。 創刊年の11月号にの童謡詩として掲載された「かなりや」が、翌(大正8年)5月号に作曲による楽譜を付けて掲載された。 これが創作童謡の嚆矢である。 これまでの難解な唱歌や俗悪な歌謡曲ではない、真に子供のための歌、子供の心を歌った歌、子供に押し付けるのではなく、子供に自然に口ずさんでもらえる歌を作ろう、という鈴木三重吉の考えは多くの同調者を集め、童謡普及運動あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となった。 『赤い鳥』の後を追って、の『』など多くの児童文学雑誌が出版され、最盛期には数十種に及んだ。 中でも『赤い鳥』のと、『金の船』(後『金の星』と改題)のとなどが多くの曲を手がけ、童謡の黄金時代を築いた。 北原白秋・野口雨情は、『赤い鳥』から『童話』へ移ったと共に三大詩人と呼ばれた。 昭和・平成 [ ] 第二次世界大戦前・戦中 [ ] に入ると児童文学雑誌は次第に不振となり、最も長く続いた『赤い鳥』『金の星』ともに(昭和4年)には廃刊となった。 さらに、次第に軍国色が強まるにつれ、童謡は軟弱であるとして排斥されるまでになった。 一方で「」((昭和15年)作詞:、作曲:飯田信夫)や「戦争ごっこ」のような戦時童謡と呼ばれる歌が作られたりした。 現在「」(作詞:、作曲:)として知られる歌も、元は「兵隊さんの汽車」という題名の出征兵士を歌ったものであった。 第二次世界大戦後 [ ] の終戦後は、もあり、再び子供の歌への関心が高まった。 が(昭和29年)に語ったところによると「の某社の下半期は 全部の売上枚数より童謡の売上枚数の方が多い 」。 「ぞうさん」((昭和23年)、作詞:、作曲:)や「」((昭和35年)、作詞:、作曲:)など、2000年代現在でも歌われる多くの歌が作られ、ラジオやテレビで放送された。 「」((昭和38年)、作詞:、作曲:)の野坂昭如など、童謡にかかわったことのある著名人は多い。 の『』や『』などからも多くの童謡が生まれている。 その後も時折「」((昭和46年)、作詞:、作曲:)、「」((昭和50年)、作詞:、作曲:)や「」((昭和51年)、作詞・作曲:)、「」((平成11年)、作詞:、作曲:内野真澄)のような大ヒットはあるものの、概して低調である。 に童謡賞部門が設けられていたのは、第1回(1959年)から第15回(1973年)で、「ちいさい秋みつけた」「おもちゃのチャチャチャ」「ムーミンのテーマ」「ピンポンパン体操」などが受賞した。 後半頃からは中高年層を中心とした大人の間での「童謡ブーム」が起こった。 税法上、レコードのジャンルを童謡にすると(1989年4月1日に廃止)が免除された為に、を童謡扱いするもあった。 「童曲」 [ ] の分野においてはこれを「童曲」と呼んだ。 たとえば「」は幕末に子供用に作られたの手ほどき曲で古くからあった。 大正時代にはまだよりもの方が一般家庭に普及していた事情もあって、(作詞)(作曲)コンビによる「童曲」は、曲の付いた童謡としては、創作童謡の第1号といわれる前述の「かなりや」よりも早かった。 宮城は「」「」「夜の大工さん」など「童曲」、弾き歌い曲を多数作曲している。 洋楽による童謡運動の大きな影響で、これ以降も久本玄智「椿の蕾」、津田青寛「鶯姫」などの作品が出された。 これらも当時、それなりの人気があったとされるが、洋楽による童謡運動の歴史的意義があまりに大きいため、現在一般にはほとんど知られていない。 少年少女合唱団・童謡歌手 [ ] 多くの少年少女合唱団が作られ、童謡の普及に貢献した。 童謡はまた、多くのを生み出した。 本居長世の長女、本居みどりは日本初の童謡歌手であり、みどり・貴美子・若葉の三姉妹によりレコード録音やラジオ放送が行なわれた。 童謡作曲家のの主宰していたからは・姉妹が出ている。 男性では増永丈夫がいた。 この少年が後の国民的名歌手である。 その流れはその後も『うたのおばさん』のや『』のとしてやへと受け継がれている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 「童謡」という語をさらに広義にとった例としては編著の『日本童謡集』(『日本童謡詩集』) がある。 同書では選定基準として「子供とともに在った唄かどうか」ということを挙げており、、テレビ主題歌、、の主題歌、なども「童謡」として扱われている。 いわゆる。 出典 [ ]• 『日本童謡集』:に()から発売、に光文社(カッパ・ブックス)から再版()。 『日本童謡詩集』:にから発売()。 『』1954年3月10日号、20頁。 (「座談会 近頃の童謡ブームをめぐって」『アサヒグラフ』1954年3月10日号、20-21頁。 「童謡ブーム 主役は大人」『』1988年7月11日付東京朝刊、12版、13頁。 「おとなたちに静かな童謡ブーム」『朝日新聞』1988年10月26日付東京朝刊、12版、17頁。 『オリコン年鑑 1988年版』、、1988年、35頁。 参考文献 [ ]• 小林弘忠『「金の船」ものがたり』• 『童謡 心に残る歌とその時代』2003年3月25日• 千葉優子『ドレミを選んだ日本人』、2007年3月• 畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』、2007年6月• 『正しい唱歌童謡のススメ』2007年10月15日• 井手口彰典『童謡の百年 なぜ「心のふるさと」になったのか』筑摩書房2018年2月15日 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• (日本語) この項目は、に関連した です。

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