毛利 庭園。 【山口】防府天滿宮、毛利氏庭園散策賞紅葉 @ YANG漾的趴趴照 :: 痞客邦 ::

六本木の毛利池(毛利庭園の池)と灯篭 ~西浦和也氏の怪談~

毛利 庭園

雖然已經好幾年沒去關西地區賞紅葉,但因為這次的秋季行程計畫得比較晚,廉航機票已經高漲,於是這次行程改走以往沒有走過的九州北部和山陽地區,看看不同的紅葉景色。 這天的行程來到山口縣的防府地區,以散步的方式走訪防府天滿宮及毛利氏庭園兩個景點,再搭車前往山口縣的錦帶橋。 關於防府地區的歷史,簡單來說就是在日本戰國時期,原本只是個小國的毛利家族,在毛利元就的領導之下逐漸壯大,最興盛時是個統領七國的龐大勢力。 關原之戰時,石田三成為首的西軍積極拉攏,毛利氏派出了一萬五千大軍加入場戰役。 不過毛利氏和東軍簽訂了祕密協議,因此並沒有積極參與戰事,加上薩摩軍在後方看戲,還有其他軍團倒戈等狀況,西軍最後戰敗。 毛利氏也成了戰敗的一方,受到領地減封的懲罰,但因為簽訂了祕密協議而減輕罰則,僅是由七國領主變成只有周防和長門兩國,後來成立長州藩一直到幕末。 長州藩到幕末時期出現許多優秀人物,是推動明治維新的重要力量。 今日走訪的防府地區,就位在當時的周防国內,因此擁有不少歷史古蹟或遺跡。 我個人滿喜歡在秋天的清晨出來散步,雖然氣溫只有個位數但呼吸到的空氣很清爽,寧靜的氣氛也讓人心情舒坦。 這天抵達防府站時才7點半,走出車站大廳來到2號站牌看了一下巴士時刻表,要等到7:55才有巴士,於是決定直接步行前往防府天滿宮。 如果不想走太多路,可以配合巴士時刻表安排行程。 下圖巴士時刻僅供參考,請以防長巴士官網公布的時刻表為準(),查詢前往阿弥陀寺方向的巴士。 清晨的防府街道沒有喧鬧的聲音,偶爾被幾聲烏鴉叫聲劃破寧靜。 出站後先往右走,幾分鐘後來到了防府天滿宮參道的入口,過馬路後沿著參道前進就能抵達。 參道的前半段是商店街,但完全沒有看到商店營業,我心想大概太早沒開門吧。 找了台販賣機買了一罐熱咖啡暖暖手,一路往防府天滿宮輕鬆走去,悠閒的氣氛讓我拋下了工作的壓力,這不就是旅行的目的嗎。 菅原道真是日本平安時代(大致是中國唐朝時期)的學者、詩人,被日本人尊為學問之神。 本來官運順遂,一路扶搖直上,在醍醐天皇即位後不久達到顛峰,升任為右大臣並兼任右近衛大將,位階相當於正二位或從二位。 官位一大就容易犯小人,道真升官還不到一個月就被誣陷而貶官,流放至太宰府。 他在前往九州的途中經過防府,覺得很喜歡這個地方,於是約定說自己死後靈魂會回到這裡。 來到太宰府後,他始終鬱鬱寡歡,不幸在903年病逝。 隔年,創建防府天滿宮以祭祀他,成為日本第一座天滿宮,而他的遺體則是葬在太宰府。 「天滿」之名,是取自他死後的神號「天滿大自在天神」。 傳說道真病逝後,醍醐天皇的皇子陸續病死,多位大臣在開會時被雷劈死,諸多巧合讓大家認為這是道真的靈魂回來復仇,因此讓菅原道真不但是日本學問之神,也成為「平安時代四大怨靈」之首,因此天皇希望藉由創建「北野天滿宮」來化解怨靈,而防府天滿宮、太宰府天滿宮和北野天滿宮並稱為日本三大天神。 眼前這座時鳥居是長州藩藩主的毛利秀就在1629年下令建造,已有近四百年歷史,是縣內最古老的石鳥居。 防府天滿宮年度重要活動之一,就是每年11月第四個星期六所舉辦的「御神幸祭」。 御神幸祭始於防府天滿宮創立百年後的1004年,為了洗刷道真莫須有的罪名而舉行。 祭典時會有上千名男子半裸或身著薄衣,抬著重達500公斤的神轎,往來天滿宮和當初道真上岸的「勝間之浦」。 到訪這週正好就是活動舉辦日,現場可以看到已經在進行一些布置。 先後穿過外面的石鳥居和裡面的銅鳥居,在右手邊的茶室芳松庵出現了紅葉美景。 為什麼會有茶室的存在,因為道真曾經研究並推廣喝茶文化,有「茶聖菅公」之稱,因此在1911年,防府天滿宮打造了這間茶室芳松庵,用以感念到真 在推廣茶的貢獻。 庭院內廣植楓樹,讓芳松庵成了防府地區重要的紅葉景點之一。 這天來得太早尚未營業,只能在外面拍拍照。 而天滿宮必備的牛雕像,在這裡也可以看到。 芳松庵對面是大專坊,在日本南北朝時期(1336~1392年)到明治初期間,是防府天滿宮的9個社坊之一(對面的芳松庵所在是円楽坊跡),過去曾被毛利元就拿來當成作戰指揮所,目前列為山口縣指定史跡。 欣賞完紅葉,繼續爬上這數十階階梯前往拜殿,平常少運動的我有點氣喘吁吁,樓梯右側圍牆內的巨大樟樹,樹齡推測有800年以上,高大挺拔。 樹幹粗5. 6公尺,高度27. 5公尺,枝葉延伸範圍36公尺,相當寬大。 防府天滿宮拜殿前的朱紅色門樓氣派華麗,是防府天滿宮的招牌畫面之一,一旁還有刻著「扶桑官廟最初」的石碑。 因為道真很喜歡梅花,所以境內種植了不少梅花,但12月到訪只有看枝條的份,櫻花也是,而這裡在春天也是個賞櫻景點。 防府天滿宮的腹地不大,很快就可以繞完一圈,零星的幾棵變色的植物點綴了境內的景色。 門樓旁掛滿了繪馬,上面都是祈求考試順利通過的願望,這裡的繪馬都是牛的圖案,據說菅原道真是承和12年(845年)6月25日生,正逢牛年牛月牛日,且有很多關於他的傳說都和牛有關,因此牛就被認為是天神的神物,所以各地天滿宮都會見到牛雕像和牛圖案的繪馬。 或許是紀念道真學問之神以及茶聖的地位,寺內各有一塊「筆塚」和「茶釜塚」的石碑,另外在角落不起眼處立有對防府地區有民生貢獻的毛利重就像。 春風樓是防府天滿宮內另一個醒目的建築,1822年,原本第十代藩主毛利斎煕要在此地建一座五重塔,因資金不足而放棄。 後來將原本放棄建設的五層塔的第一層的底下結構按原樣保留下來,改造成架空的重檐歇山頂式建築,於1873年完工,現被列為「登録有形文化財」。 站在春風樓,可以俯瞰防府四季景色變化。 小繞一下後,繼續往毛利氏庭園走去,途中會經過周防國分寺。 周防國分寺是在741年由聖武天皇頒旨興建的眾多國分寺之一,主祀藥師如來,初期建有南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔,是少有的伽藍格局寺院。 雖然部分建築後來損毀,不過寺院內還保留著創建之初的格局,寺區也被指定爲國家文化史跡。 現存仁王門是1956年毛利輝元下令重建至今,金堂也經過多次整建,兩者都頗具規模。 寺中的藥師如來像、日光・月光菩薩立像、阿彌陀如來坐像等多座佛像都是重要文化財。 寺外兩棵巨木應該也頗有歷史,像是左右護法般守護著國分寺。 繼續前行,在左波神社旁會看到一塊「大村能章顯彰碑」,是紀念防府重要作曲家大村能章,台灣有些閩南語老歌使用過大村老師的曲子,也有早期台灣藝術表演者到大村老師創辦的音樂學院學習過,也算是跟台灣有點關係。 大概十來分鐘來到毛利氏庭園外的道路,但不要高興太早,因為從路口走到售票處大概還要近10分鐘,要是平常不愛走路,來到這裡可能會走到哭出來。 表門並不是售票處,如果是搭計程車可以開到這裡,還要繼續往裡面走才會到售票處。 這裡票種分為庭園、毛利博物館以及庭園加上博物館的共通票。 毛利博物館是利用原本的毛利氏宅邸改裝而成,可以了解毛利家族後期生活狀態及文物展示,只買庭園票的遊客就只能遊覽庭園,無法進入屋內。 我個人對文物展示沒有太大興趣,加上還要去錦帶橋,所以就只有購買庭園票。 毛利博物館則收藏了自毛利元就收藏起的歷史文物,包括1486年由雪舟親筆繪製的水墨畫巨作《四季山水圖》、史記呂后本紀第九等七件國寶,以及其他超過兩萬件的收藏品,對歷史文物有興趣的朋友可別錯過。 這座毛利宅邸和庭園,是毛利宗家在明治維新後的住所。 在實施廢藩置縣後,當時的藩主毛利元德改封為伯爵,成為長州藩最後一任藩主,並調往東京,成為第15國立銀行的總裁,後為公爵、貴族院議員,其子毛利元昭便成為家族的當家。 毛利宅邸最初在1892年計畫興建,由「井上馨」負責規畫,但被甲午戰爭和日俄戰爭給影響而停工,一直到1912年才又恢復興建,1916年完工。 庭園占地約2萬5千坪,是一座相當寬廣的迴游式庭園,是當時所興建的日本庭園中最受稱讚。 庭園中廣植松樹、楓樹和櫻花等,在不同季節搭配池水、假山以及石燈籠、小橋等造景,呈現出不同風景。 雖是山口縣重要賞紅葉的景點,但庭園嘛,就是很集中種了一堆,作為顏色的點綴,不像京都寺院那樣具有禪意,單拍一棵就很美。 這裡必須要考慮到景物的搭配,才能拍出比較好看的照片,庭園內紅、黃、綠色交錯,再搭配池水、遠山和藍天,看起來挺不錯。 除了紅葉,宅邸建物和前面的松樹搭配的畫面也是不容錯過。 逛了一圈庭園後我就沿著原路走回防府車站(因為巴士時間又沒兜上),結束了防府半日散策。 我個人覺得太趕了,沒能好好走走看看,建議安排為一整天的行程比較從容。 後來想想,覺得放棄毛利博物館好像有點可惜,這正好可以作為下次再去防府的好理由。 這裡除了紅葉,也是賞櫻的好地方,或許下次就挑櫻花季節前去。

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毛利氏庭園 ― 山口県防府市の庭園 国指定名勝。

毛利 庭園

怪談トークライブやゲーム、DVD等の企画も手掛ける。 イラストレーターとしても活躍する。 単著に「現代百物語」シリーズ、『実録怪異録 死に姓の陸』『帝都怪談』などがある。 溝ノ口のマンション 玉田のゲームセンターにUFOキャッチャーを納入している会社の社長さんが 中学生であったときの話です。 その方は母子家庭で育ったそうで母親が看護師をされてました。 務め先に近いということもあり、神奈川の病院に近い溝ノ口にマンションを借り 生活していました。 そのマンションは斜面を切り崩して平地にした場所に立っており立地こそ悪いが 当時にしては綺麗なマンションだったそうです。 ある日の夜、母が夜勤で一人で部屋で寝ているときに 何か胸やけを感じて夜中に目を覚ますと部屋が重々しく気持ち悪さを感じました。 金縛りなのか体が動かない状態でした。 部屋のつくり自体は和式で襖で仕切られており夜寝るときは襖を開けて寝ていました。 体は動かないが首だけが動く状態でフッと玄関側を見ると誰かが立っているのが 見えました。 泥棒かと思いましたが体は動かないし、夢かどうかもわからないため そのまま放っておいたそうです。 母が夜勤の際にこのことが発生していました。 しかし3か月経ったある日いつものように夜中目を覚めてた際に いつもは玄関に立ってた人が襖の部屋に入ってきていました。 そしてよく見るときれいな軍服をきた人であることがわかり 馬乗りになって首に手を掛けた状態で 「ここから出ていけ!お前の居ていいところじゃない!」 と言われ脅されました。 そういうことが何度が続いたために状況を説明し看護師の母に相談し引っ越すよう 催促しましたが受け入れてもらえませんでした。 そんな最中彼ら母子が住んでいる階の側面の部屋だけ異様に 引っ越しが多いことに気が付きます。 もしかすると他の住民も同じ怪現象が起きているのでは?? そう考え繰り返し母を説得し続けたところ仕方なく承諾してくれたそうです。 そして部屋を引き払う際に風呂場の掃除中に「ぎゃあ!!」と母の叫び声がしました。 風呂場へ向かうと母が 「お前の言ってたことは本当だ! 軍服を着た人が現れてそのまま排水溝に吸い込まれていった!」 溝の口のマンションではそういった出来事があったそうです。 六本木の毛利池 同じ時期西浦和也氏は六本木ヒルズにある毛利池について調査していました。 この地は元々毛利藩邸があり、その後明治政府練兵場となり ニッカウヰスキーが購入後にテレビ朝日、六本木ヒルズへと各時代によって 変貌を遂げてきた場所でした。 六本木ヒルズの建設で大規模な工事の手が入る際に事前調査を行う予定だったそうです。 というのも江戸幕府が大政奉還したのちに薩長がなんとか戦争に持ち込む 大義が欲しく挑発を繰り替えしていたところに幕府方が 毛利藩邸を一晩で焼き討ちにされたことを 発端に明治維新が始まった場所ということ。 さらにとらえられた赤穂浪士10名が切腹した際に返り血を浴びた血塗られた灯篭、 そして池の水で首を洗ったとの逸話が残っている。 文化財としての価値があるものがこの池から出てくる可能性が高いと踏んでいましたが 池の水を抜いたところで調査は中止されました。 何か予期せぬ事態が起こったことは明らかでした。 この内容を裏付けるかのようにニッカウヰスキーが土地を購入した経緯として 池から湧き出る天然水でウイスキーを作ることが目的だったのですが 結局それをせずに土地を手放します。 当時の社長が手記でこう言い残しています。 「あそこは由緒ある池で、必ず主がいるに違いない。 だから池を潰した奴には祟りがあるぞ。 本人になければ子孫にあるぞ」 (『父・マッサンの遺言』KADOKAWAより) 結局、毛利池は水が抜かれた状態で池底を防護シートで敷き、 その上に1mにもなる防水コンクリートを埋めてその上に現在の池 毛利庭園 を造ったそうです。 毛利池と溝ノ口のマンション このようなを調査している最中UFOキャッチャーの社長から 以前住んでいた溝ノ口の幽霊マンションがまだ空き家となっているとの連絡があり 西浦和也氏はそのマンションへ向かいます。 対象の部屋を内覧後に近くを歩いていると近くの児童館脇に「おばけ灯篭」の看板があり、 当時軍部施設の名残がある擁壁・高射砲跡の傍に設置さていました。 但し書きを見てみると実は元々は毛利池に設置されていたものが この地に移されたと但し書きに記されていたために好奇心を擽られたそうです。 「おばけ灯篭」の由来は明治天皇の近衛兵が軍部の暴走を抑えきれないため クーデターを起こした2・26事件が発端とされています。 クーデターが失敗後、六本木にある毛利池で近衛兵の将校が自害したのですが、 その場所にあった灯篭が彼らを憐れんで夜な夜な六本木で歩き回っているとのことで 市民から陸軍に陳情した結果、基地のある溝ノ口に送られたとの記録がありました。 近衛兵は軍部に反逆したものたちと捉えられたために戦争の最前線に送られ ほぼ戦死したのですが、稀に生き残った人は実践を積んだ人材ということで 軍部の教育係として溝ノ口の基地に移送されました。 実は、市民から陸軍への陳情と相まって移送の際に自害した将校を憐れんで思い出と共に 「お化け灯篭」も一緒に持ってきたのがどうやら真相らしい・・・。 しかしながら当時灯篭を設置したのは場所のどこなのか?? 現在の児童館脇にあったのか?? 昭和20年に米軍が基地を世襲したときの航空写真と現在地図を合わせると 実は当時マンションが建つ前は斜面に軍事教官専用門があり その場所に灯篭は設置されていたそうです。 丁度UFOキャッチャーの社長が住んでいた マンションの部屋の真上に位置する場所だそうです。 果たして近衛兵の亡霊は未だマンションにいるのでしょうか? 最後に 六本木ヒルズといえば、過去、六本木ヒルズのテナント企業が立て続けに 不祥事を起こしたり、ボヤ騒ぎがあったりと・・・ マッサンのいう通り毛利池の主が引き起こした現象なのでしょうか? 以上最後までご拝読いただきありがとうございました🎵.

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六本木の毛利池(毛利庭園の池)と灯篭 ~西浦和也氏の怪談~

毛利 庭園

「毛利氏庭園」は防府市街地の広大な敷地に建てられている毛利宗家の本邸の庭園で、現在は「毛利博物館」となっている御殿造りの本邸も国指定重要文化財。 毛利元就・毛利輝元など中国地方を支配した戦国大名としても有名な「毛利氏」。 明治時代の廃藩置県後、萩藩主を解かれ公爵となった毛利家が本邸を建てるにあたり、井上馨(長州出身)の協力も得て防府の地を選定、明治〜大正時代にかけて築造。 とにかく広い!!入り口の薬医門から博物館・庭園の駐車場までもそこそこ距離があり、お屋敷も庭園もとにかく広大。 庭園は一応池泉回遊式庭園ということになると思うけど、高台にあるゆえ広い池泉も他の大名庭園とは異なる(渓谷のような高さのある)風景。 溜池の役割も果たしているのかな。 周囲の山々の借景や、お屋敷の2階からの庭園越しに瀬戸内海まで見渡す風景も壮大。 作庭は東京の庭師・。 なお博物館にも、国宝や国重要文化財も含む毛利家の貴重な資料が所蔵されています。 (2014年8月、2018年7月訪問。 以下の情報は訪問時の情報です。 最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。

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