スピッツ あわ。 エンドロールには早すぎる(スピッツ) / コード譜 / ギター

あわ/スピッツの歌詞

スピッツ あわ

「あわ」は1991年11月に発売された2ndアルバム「名前を付けてやる」に収録されました。 心の洗濯とは、心の安らぎを得ること、心休まる感じになることです。 なぜ、心の洗濯をしているか。 「こっそりみんな聞いちゃったよ 本当はさかさまだってさ 小さな大きなまなざしは空に抜けていった」 の歴史を考えると、「さかさま」だったのは、当初の演奏スタイルです。 越えられないのならば逆をやらなくてはいけなかったのです。 「小さな大きなまなざし」とはライブ中の観客の視線でしょうか。 それが自分たちではなく、空に抜けていってしまったように感じました。 それでもやはりショックは大きかったようで、「今日も」「ひょろひょろの風の中」「ぼんやりしてようかなあ」とまだ少しの回復が必要なようですね。 あわになって溶け出した 雨の朝 心にシミとなって留まっていたものがあわになって溶け出した。 「雨の朝」とあるので心の雨(=涙)を流したのかもしれませんね。 寒いな畳のにおい 優しい人やっぱりやだな しっかりなんてできないけど 僕はここにいた でっかいお尻が大好きだ ゆっくり歩こうよ わざとがっかりしたふり かごの中 誰も見ちゃいないさ 「寒い」とは、むなしくて寂しい気持ちになること、「畳のにおい」とあるのでそんな気持ちを抱えてぼんやりと寝転んでいるのでしょうか。 先ほどの「雨の朝」はやはり涙を流した朝と読んで良いかもしれません。 そして、ぼんやり考えているうちに「優しい人やっぱりやだな しっかりなんてできないけど 僕はここにいた」と新しい思考が湧いてきます。 ライブハウスのオーナーにきついことを言われ落ち込みましたが、彼が本当のことを言ってくれなかったらこのまま気がつかず「さかさま」のままだったかもしれません。 すぐにちゃんとなんてできないけれど、けれども変わらず「僕はここにいる」そのことに気がつきます。 「でっかいお尻が大好きだ ゆっくり歩こうよ」尻が重いということは、身軽に立ち働けないということ。 そうですか、とすぐに器用に変えることは出来ないけれど「ゆっくり」やっていこう、自分のペースで変化していこう、と考えます。 「わざとがっかりしたふり かごの中 誰も見ちゃいないさ」そして、わざとがっかりしたふりをしていよう、洗濯かごの中にいれば鬼も見てはいないし。 それは続く歌詞からも読み取れます。 機関銃を持ち出して 飛行船を追いかけた 雨の朝 あわになって溶け出した 雨の朝 「機関銃を持ち出して 飛行船を追いかけた」洋ロック好きの方なら、これは「」のことだなとすぐにピンとくるのではないでしょうか。 この話からも、俺たちが新しい音楽で続けることで他を落としてやる、という気持ちがうかがえます。 追記:ここにの名前の由来を暗示する表現が出てくることで、これはバンドについて歌ったものだとわかるようになっていると思います。 これがマサムネさん流の歌詞についての答えの見せ方だと私は思っていまして、とても練られていると思います。 「」の頃から考えると、マサムネさん自身ずいぶんと成長されていました。 この後、アコギを持つスタイルでメスな方向へ変化させ、音楽性を広げ、日本語の歌詞にこだわり、メロディも洋楽志向にこだわることを辞めます。 そして最初に出来たのが、このアルバムの次の曲「恋のうた」です。 「あわ」「恋のうた」がこのアルバムにおいて続きで収録されたことには大きな意味がありました。 の大きな転機となる曲「恋のうた」が出来るに至るまでのストーリーが歌われた大切な一曲でした。

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スピッツ (バンド)

スピッツ あわ

「あわ」は1991年11月に発売された2ndアルバム「名前を付けてやる」に収録されました。 心の洗濯とは、心の安らぎを得ること、心休まる感じになることです。 なぜ、心の洗濯をしているか。 「こっそりみんな聞いちゃったよ 本当はさかさまだってさ 小さな大きなまなざしは空に抜けていった」 の歴史を考えると、「さかさま」だったのは、当初の演奏スタイルです。 越えられないのならば逆をやらなくてはいけなかったのです。 「小さな大きなまなざし」とはライブ中の観客の視線でしょうか。 それが自分たちではなく、空に抜けていってしまったように感じました。 それでもやはりショックは大きかったようで、「今日も」「ひょろひょろの風の中」「ぼんやりしてようかなあ」とまだ少しの回復が必要なようですね。 あわになって溶け出した 雨の朝 心にシミとなって留まっていたものがあわになって溶け出した。 「雨の朝」とあるので心の雨(=涙)を流したのかもしれませんね。 寒いな畳のにおい 優しい人やっぱりやだな しっかりなんてできないけど 僕はここにいた でっかいお尻が大好きだ ゆっくり歩こうよ わざとがっかりしたふり かごの中 誰も見ちゃいないさ 「寒い」とは、むなしくて寂しい気持ちになること、「畳のにおい」とあるのでそんな気持ちを抱えてぼんやりと寝転んでいるのでしょうか。 先ほどの「雨の朝」はやはり涙を流した朝と読んで良いかもしれません。 そして、ぼんやり考えているうちに「優しい人やっぱりやだな しっかりなんてできないけど 僕はここにいた」と新しい思考が湧いてきます。 ライブハウスのオーナーにきついことを言われ落ち込みましたが、彼が本当のことを言ってくれなかったらこのまま気がつかず「さかさま」のままだったかもしれません。 すぐにちゃんとなんてできないけれど、けれども変わらず「僕はここにいる」そのことに気がつきます。 「でっかいお尻が大好きだ ゆっくり歩こうよ」尻が重いということは、身軽に立ち働けないということ。 そうですか、とすぐに器用に変えることは出来ないけれど「ゆっくり」やっていこう、自分のペースで変化していこう、と考えます。 「わざとがっかりしたふり かごの中 誰も見ちゃいないさ」そして、わざとがっかりしたふりをしていよう、洗濯かごの中にいれば鬼も見てはいないし。 それは続く歌詞からも読み取れます。 機関銃を持ち出して 飛行船を追いかけた 雨の朝 あわになって溶け出した 雨の朝 「機関銃を持ち出して 飛行船を追いかけた」洋ロック好きの方なら、これは「」のことだなとすぐにピンとくるのではないでしょうか。 この話からも、俺たちが新しい音楽で続けることで他を落としてやる、という気持ちがうかがえます。 追記:ここにの名前の由来を暗示する表現が出てくることで、これはバンドについて歌ったものだとわかるようになっていると思います。 これがマサムネさん流の歌詞についての答えの見せ方だと私は思っていまして、とても練られていると思います。 「」の頃から考えると、マサムネさん自身ずいぶんと成長されていました。 この後、アコギを持つスタイルでメスな方向へ変化させ、音楽性を広げ、日本語の歌詞にこだわり、メロディも洋楽志向にこだわることを辞めます。 そして最初に出来たのが、このアルバムの次の曲「恋のうた」です。 「あわ」「恋のうた」がこのアルバムにおいて続きで収録されたことには大きな意味がありました。 の大きな転機となる曲「恋のうた」が出来るに至るまでのストーリーが歌われた大切な一曲でした。

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あわ

スピッツ あわ

J-Pop• そして、シングル『シロクマ』のリングに、この曲のライヴバージョンが入っています…なぜこの時期にこの曲だったんでしょうか。 個人的ランキングでは、195曲中174位でした。 の全アルバムの中でも、この『オーロラになれなかった人のために』というアルバムは、異質な存在であると言えます。 イントロが長い曲が多くて、しかもゆったりしているし、ホーンやストリングスを多用している曲が多いので、気持ちがなんかサワサワして、クラシックでも聴いているような気分にさえなります。 そういう作品です、コアなファンも多いのではないでしょうか。 それは、この【ナイフ】とは、男性器の比喩だという解釈です。 危ないですね! * 君は小さくて 悲しいほど無防備で 無知でのんきで 優しいけど嘘つきで もうすぐだね 3月の君のバースデイには ハンティングナイフのごついやつをあげる 待ってて * これが始まりの歌詞です。 ここを読んで、どう思いますか。 そりゃ認めますよ、を長く聴いている分、僕は裏を読もうと、何か裏があるのではないかと、素直に聴けなくなってる、とね。 誕生日に、君にナイフをプレゼントするよ=誕生日にセックスしようね、ということなんでしょうね。 それは、彼女の希望だったのかなぁ、それとも、僕の欲望だったのかなぁ。 * 君がこのナイフを握りしめるイメージを 毎日毎日浮かべながらすごしているよ * …いやいや、完全にアウトでしょ!君のことを思いながら、自分のモノをサワサワしているとね。 誕生日には、君に握ってもらえる…と妄想しながらね。 * 果てしないサバンナを行く しなやかな強い足で 夕暮れのサバンナを行く ふり向かず目を光らせて 血まみれの夢 許されて心が乾かないうちに サルからヒトヘ枝分かれして ここにいる僕らは * 多分ですけど、初体験のイメージを詩にしているのかな、と思いました。 でも、ここを読んでも、全然いやらしくなくってさ、本当にすごいですよね、草野さんの詩って。 itukamitaniji.

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