混沌さん 大学。 【結局どうなる?】大学入試日程が混沌としてきた…

「混沌」の意味

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-難関を超えて入学した皆さんを心から歓迎します- 今年度の新入生の皆さんは大変な苦労をなさったことと思います。 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、高校が一斉休校となり、年度末に予定されていた様々な学校の行事が唐突に中止になりました。 先生方、クラスの友達との突然の別れが訪れ、卒業式も行われないままに高校を巣立たざるを得なかった方もいるでしょう。 それ以前に、皆さんはここ数年続いている私立大学の合格者絞り込みの状況の中で、志望校を選ぶのにも苦労されました。 直接は関係しないにしても、来年から、これまでの大学入試センター試験が大学入学共通テストと名前を変え、内容も記述式問題の導入が計画され、一昨年度はプレテスト(試行試験)まで行われました。 また英語では英検や TOEFLなどの民間テストが活用されると言われ、各大学は具体的な利用方式まで発表していました。 いずれも見送られたわけですが、こうした大学入試改革の混乱、錯綜する情報に不安を抱かざるを得なかったことでしょう。 さらに、入試シーズンになって急に新型コロナウイルスの感染拡大が追い討ちをかけ、受験に大きなハードルが課されてしまいました。 私たち獨協大学の教職員はそれらの状況をよく承知しており、難関を超えて入学してきた皆さんに心から敬意を表し、歓迎いたします。 本学では入学式も中止せざるを得ませんでしたが、皆さんのより良い学びのために今後は全力でサポートして参ります。 獨協大学は教育力に定評のある大学です。 これからの4年間、たとえ社会でどのような変化が起ころうとも、安心した学びの場を提供し続けます。 -建学の理念は「大学は学問を通じての人間形成の場である」- 本学は、昨年で 55周年を迎えましたが、建学時に掲げた理念を長い歴史の中で変わることなく堅持し続けてきました。 大学の理念というのは、それぞれの大学が掲げる教育の目的であり、特に私立大学では常にそこへと立ち戻り、自らの教育研究がそれに叶うものになっているか問い続ける大きな「柱」のことです。 獨協大学の理念は「大学は学問を通じての人間形成の場である」という創立者天野貞祐(ていゆう)先生の言葉です。 私自身、本学に就職が決まった時、この言葉を聞いて大変素晴らしいものだと思いました。 この理念の背景にドイツで育まれた思想があり、明治時代にドイツの進んだ学問を学ぼうとした獨逸(ドイツ)学協会学校の伝統を引く大学であることも瞬時に分からせるものだと感じたからです。 ドイツの文学の中に「教養小説」と呼ばれるジャンルがあります。 少年や青年が、住み慣れた故郷を離れ旅に出て、様々な経験をして学び、徐々に成長し、自己形成していくというストーリーです。 人が経験、学びを通して、自分の中に可能性としてあったものを見出し、成長させ、自己を形成していくという考え方はドイツ理想主義以来の伝統的な考え方です。 獨協大学は、この「大学は学問を通じての人間形成の場である」という天野先生の建学理念を揺るぎ無く掲げて、今日まで発展してきました。 私たち獨協大学の教職員は、この建学理念を実現し、優れた人間を育成するという使命を負って、皆さんに向かい合って参ります。 天野先生は、かつての入学式の式辞で、皆さんを次のような「人間」に育てたいと述べられています。 「良き意思」を持った人間、「思慮」を持つ人間、「豊かな情操」を持った人間、社会に役立つ「知識技能力」を持った人間、そして「健康」な人間です。 50年以上も前の式辞ですが、この理想は今も変わりがありません。 現在のように混沌とした状況の中にあり、社会をさらに混乱させようという悪意ある情報すら飛び交う中にあって、「良き意思」を持ち続けて行動でき、そして何よりも、現実に目の前にいる弱い立場の人たちへの深い思慮を持って行動することができる人間であり続けてください。 本学で知識技能力を身につけて、それを社会で活かすことのできる独立した人格を形成し、同時に、美しいものを愛でる豊かな情操を育んでください。 獨協大学は、皆さんが身体的にも精神的にも、健康に4年間を過ごすことができるように支えて参ります。 世界を覆いつくす感染症は、今この時も、皆さんを見えないものへの不安や恐怖、無為に過ごさねばならない中での閉塞感で苦しめています。 しかし、私たちは漠とした不安といった感覚に押しつぶされてしまうのではなく、いかに世界が国境を越えて問題を共有しているか、自らの利害のみに囚われた政策が、いかに愚かで醜いかをも実感しています。 グローバル化とパンデミックが表裏一体であることを学びました。 今現在の感染症の拡大をとらえただけで、医療や生命、環境にかかわる研究から、危機の中でも持続可能な社会や経済の仕組みなど、危機を克服し、「未来」を構想してくべき課題が山のようにあることがわかります。 そこには人間と社会、人間と自然との関係への本質的な洞察を必要とする課題が多く含まれています。 今回の悲惨を克服した後、世界は変わります。 感染以前の世界に戻ることはなく、また、戻ってはなりません。 危機によって「前進」するのです。 そのようなより良い世界を構想し、そこに至る道筋を提示することが学術であり、大学です。 皆さんも、そうした教育・研究共同体の一員となり、共に考え、学び続けていきましょう。 皆さんにはクラスアドバイザーの先生がついて学修と共に学生生活の相談に乗ってくれます。 教務課や学生課の窓口では、これから大学でどのように学んでいけばいいのかについての履修相談や、奨学金のガイダンスを実施しています。 図書館でのレファレンスカウンター、国際交流センターでの留学ガイダンス、その他、自ら学ぼうとする皆さんを支える支援体制は枚挙にいとまがありません。 いずれの窓口でも親身な対応がなされることが本学の大きな自慢です。 教職員一同、皆さんが持っている素晴らしい能力が、この草加の地の獨協大学で、若い学生諸君のエネルギーが満ち溢れた大学のある都市で、さらに花咲くことができるように努める決意です。 皆さんは獨協大学で学ぶことに誇りと自信を持ち、恵まれた学習、生活環境の中で、自らを精一杯、磨き上げる努力を怠らないでください。 最後に、皆さんはこれまで不安な数ヶ月を過ごしてきましたが、それ以上に心配な日々を送られたのは皆さんを見守ってこられた保護者の方々です。 入試の動向に一緒になって目を配り、特に皆さんの健康には特段の注意を払ってくださいました。 なかなかうまくは伝えられないかも知れませんが、入学を祝っていただく機会などがありましたら、それに報いる言葉を伝えてあげてください。 それでは、これからの獨協大学での4年間が、皆さんにとって素晴らしい人生の一頁となることを祈って、学長メッセージとさせていただきます。 入学おめでとう。 2020年 4月 1日 獨協大学 山路 朝彦.

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TikTokで大人気の混沌さんは誰?名前や年齢、顔画像、プロフィールは?YouTubeチャンネルも調査!

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2020年6月8日 重要 新潟リハビリテーション大学 学生の皆さんへ 緊急事態宣言が全国で解除され、本学でも、学生の皆さんの立ち入り制限を解除いたしました。 全国的に感染者が減少しつつあり、新潟県内の感染状況も落ち着いています。 そして、何より、ここ村上では感染者がゼロの状態を保ち続けています。 皆さんの感染対策への協力の成果が、現在まで繋がっています。 ありがとうございます。 これまで、経験したことのない新しい感染症のパンデミックにより、あっという間に世界中が機能不全に陥りました。 このような状況の中、本学もいつもの年とは異なって、大きく制限のかかった大学運営とならざるを得なくなりました。 それに伴い、皆さんも、いつもの年のようにはいかない、春先から不自由な大学生活が始まりました。 皆さんが様々な不安を感じ、不便な思いをしている事を、私たち教職員は、大変心苦しく思っています。 時々刻々と変わる状況に、私たちも、講義や実習の方法、形態を変えたり、工夫したり、感染防止対策を講じたりなど、多くの対応に追われています。 なかなか落ち着かない状況から、皆さんにご迷惑をおかけしたことがあったり、今後もおかけしたりすることがあるかもしれません。 このような状況にあっても、教職員一同、誠心誠意、日々、どうしたら皆さんが有意義に大学生活を送り、学ぶことが出来るか、非常に多くの時間を割いて真剣に議論を続け、その結果をできるだけ速やかに実行に移してきています。 しかし、昨日決めたことを今日変更せざるを得なくなったり、今日決めたことが明日には変更しなければいけなくなったり、というようなことも続きました。 このような混沌とした状況に対し、皆さんはもどかしく思われた(る)こともあるかもしれませんが、ご理解ご容赦いただきたくお願いいたします。 新型コロナウイルスが出現して、世界中が暗い雲で覆われ、ギスギスやイライラがはびこり、攻撃の言葉や心無い言葉が飛び交いました。 今でも…。 また、行動制限が大きくかかった自粛生活も、たいへんツライものがありました。 しかし、こうやって大学を再開できたことで、少し明るい道筋が見えてきました。 そして、皆さんを再び大学に迎え入れることができる状況になったことに、ひとまずは、大変うれしく思います。 とはいうものの、新型コロナウイルスへの対策はこれからが本番ともいえます。 ウイルスに細心の注意を払いながら、大学での学びや生活を続けていかなければなりません。 このウイルスは、感染しても、特に若者の場合、無症候や軽症が多いといわれています。 自分も感染しているという前提を常に持ち、周りの人々へ思いやりや優しさを示すことが重要です。 科学的に正しいと思われる行動や対策を根気強く続けていけば、ウイルスとの共存が可能になるともいわれています。 自分自身や大切な人たち、そして社会全体を守るために、皆で協力して、新しい生活様式を実践していくことが大切です。 引き続き、ご協力をよろしくお願いいたします。 ちょっと気を緩めると緩んだところから、感染症が再燃し、一気に勢いを取り戻していきます。 少し落ち着いている今こそ、次の波に備えた準備を整える必要があります。 一方、人類の多くが感染におびえている中でも、皆さんの多くが目指している医療・福祉の現場をはじめとして、さまざまな業種の方々が、社会を支えてきています。 そういった方々への感謝の気持ちを持ち続けるとともに、これらの方々に更なる負担をかけず、守っていくことを考えるときに、必然的に私たちは、どのように行動すべきか、見えてくると思います。 また、感染は誰にでも起こりうることです。 1, 2年後には日本人も半分ほどが感染している可能性も示唆されています。 手洗いや消毒をし、マスクをしていても感染することがあるともいわれています。 感染した方への偏見や差別を行ってはいけません。 最後になりましたが、新しい生活様式を、かなり長い間、実践していくことが求められています。 ワクチンや有効な薬が開発されるまでは、我慢や不便を強いられることになると思います。 このような中、不安や心配事、あるいは不満等を抱えている学生さんもいらっしゃると思います。 皆さんの不安を少しでも取り除き、前向きな気持ちを持ってもらえるよう、本学は心身の相談体制を強化しました。 学生対応窓口をわかりやすいように整理し、本学ホームページ等にも掲載しました。 コロナに負けることなくこの難局を乗り越えられるよういっしょに頑張っていきましょう。 令和2年6月 新潟リハビリテーション大学 学長 山村 千絵•

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座・対談 「『世界』をつなぐ読書」柳 広司さん(... |読書のいずみ |全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)

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実際に目で見たり体験する事が出来ない状態なので、具体的に理解するのは難しいと思います。 また、現在で使われている「混沌」と言う表現は単に「判らない」に置き換えても成り立つ程度の事でしかありません。 まず、目の前に粘土を持ってきてください。 これが混沌の状況です。 実際の混沌はそれが粘土であるということすら定かでないのですが、 そこにあるのは粘土以外の何者でもありません。 だから混沌なのです。 では、粘土をこねてください。 何を作ろうかなどと思いつかないまま、否、私に言われたまま、「何かを作ろう」と言う意思も無いまま粘土を練る状態。 これは貴方の頭の中は混沌の状態です。 神話や宗教では、この状態から神が何かを思いつき、粘土で動物や植物、山や川など様々なものを作り出したとしているのです。 「混乱」との違いを説明してみましょう。 混沌は、状態を示すアナログ認識で、構成物の総量が 大きいことも条件です。 混乱は理論的な認識であり、構成要素個々の 判別はできる。 また、混乱は動的で活発であり、 停滞している状態を混乱とは言わない。 混沌は、静止ではないが活発でもない。 「ノッタリノッタリぐにょぐにょうごめいている」 というイメージです。 たとえばプロ野球について語るとき、 シーズン中盤に多くのチームが僅差で、 今日どこがどこに勝ってもたいした変化がない場合 「リーグ優勝の行方は混沌としている」と言います。 シーズン末期に3チームが僅差なら、 ひとつの試合結果で立場が逆転するから 「優勝予想は混乱せざるをえない」となります。 広辞苑にはこう書かれています。 2 物事の区別・なりゆきのはっきりしないさま。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 これが「創世記」の有名な冒頭です。 古代の人々は宇宙や惑星の構造など知りませんから、彼らの知っている世界は「天と地」に分かれた広がりが「世界」でした。 もし神が世界を創ったなら、それ以前は、天地は分離せず、入り混じった状態だったと考えたわけです。 そして神の手により分離された天地が秩序であり、分離されていなかった状態が「混沌」というわけです。 身近かどうか分かりませんが、エントロピーという概念をご存知でしょうか。 熱化学の用語ですが、思想的にも多く使われます。 ようするに、ゴチャゴチャに入り混じった状態はエネルギーがゼロで、分離された状態はエネルギーを多く含んでいるということ。 小泉元首相が格差がなにが悪いんだ、と発言したのは、格差があることによって活力がある社会となると言っているのです。 貧富、学力や容姿、格差があるからこそ豊穣な文化が生まれるのだという考え方です。 平等はエネルギー価ゼロでなにも生み出さないと。 保守系の人々はこんな風に考えます。 平等は混沌であり、格差は秩序というわけです。 あと環境問題。 日本はゴミの分別が徹底してます。 とくに地方の自治体などは。 再資源化や処分、焼却ができるのは「分別」という秩序立てているからで、分別しない外国などではゴミ問題に苦慮しています。 これが「混沌」。 日本で唯一誇れる行政はゴミ処理だと言っていいと思います。 あと数学ではカオス理論なんてのもあります。 A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... Q 皆様、こんにちは。 最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。 他にも『解任』などもあったりして どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。 gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。 『更迭』は他の人に変える事とでてきます。 これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか? なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。 A ベストアンサー イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。 例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに 組織されています。 つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。 しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して 公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。 ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。 一応これは一つの例ですけど。 というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。 こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。 この説明で理解してくれると思いますけどね。 イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオ... A ベストアンサー そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。 原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。 九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。 【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。 【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。 【十分】の発音はshi2fen1 【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。 【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。 としたいところです。 【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc) ついでに、 「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。 いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。 いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。 そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。 A ベストアンサー 煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。 しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。 「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。 「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。 また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。 煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。 しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。 ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。 仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。 従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。 女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。 しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。 別に和服でなく、洋装でも構わないのです。 また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。 あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。 例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。 しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。 坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。 極楽じゃ。 しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。 また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。 酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。 大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。 仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。 もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。 これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。 別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。 親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。 これも煩悩か」などとなります。 「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。 これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。 煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。 また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。 (ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。 煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。 肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。 人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。 分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。 しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。 「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。 本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。 本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。 世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。 煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。 しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。 「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。 「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。 また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。 A ベストアンサー 目からうろこが落ちる 普通、「目から鱗が落ちる」という場合、思いもよらなかった発想や考え方に、目が開かれるような思いになったことや、全く新しい体験を経験することによって、考え方がいっそうされたようなときに使うようです。 つまり、偏見や先入観から解放されて、自由なものの見方や考え方に至った場合に、「目から鱗が落ちる あるいは落ちた)」と言うようです。 実は、この「目から鱗が落ちる」という言葉は、「豚に真珠」と同じように聖書の中の言葉なのです。 この言葉は、使徒行伝の9章にでてくるのですが、この9章は、イエス・キリストが死んでまもなくの、キリスト教がキリスト教としての歩みを始めた極めて初期の時代のことが記されています アナニヤがサウロの上に手を置き、「イエス・キリストが、あなたのところに私をおつかわしになった」ということを告げたとたん、サウロの目が見えるようになったのです。 このとき聖書は、「サウロの目から鱗のようなものが落ちて、再び見えるようになった。 」といっています。 そしてここに、「目から鱗が落ちる。 」という言葉の語源があるのです。 サウロという人は、当時のユダヤ教の学者の中では一級の人物ガマリエルと言う人の弟子でした。 そういった意味ではエリートと呼ばれるような立場にあり、自分の力と才覚でいろんなことを考え実行できる人であったと言えるでしょう。 そのサウロが、人生の一大転機の時に視力が奪われ、人に手をひいてもらい、自分の力ではなく他人に頼らなければ何事もできないということを経験するのです。 まさしく、人間の能力や力の限界といったものを経験したのです。 それは、厳格なユダヤ教徒からキリスト教徒になるという、信じる内容の変化だけでなく、自分の力と才覚によりすがって生きていく生き方から、自分の力と才覚の限界をしって、ただ神によりすがって生きていく生き方へと目が開かれていく転換でした。 その境目に「目から鱗のようなものが落ちた」のです。 そういった意味では、「目から鱗が落ちる」ということの本当の意味は、人間が自分の力や才覚を誇り生きていくような生き方ではなく、自分の限界や無力さを知り、神に頼るということに気がつくということなのかもしれません。 nifty. html 目からうろこが落ちる 普通、「目から鱗が落ちる」という場合、思いもよらなかった発想や考え方に、目が開かれるような思いになったことや、全く新しい体験を経験することによって、考え方がいっそうされたようなときに使うようです。 つまり、偏見や先入観から解放されて、自由なものの見方や考え方に至った場合に、「目から鱗が落ちる あるいは落ちた)」と言うようです。 実は、この「目から鱗が落ちる」という言葉は、「豚に真珠」と同じように聖書の中の言葉なのです。 この言葉は、使徒行伝の9章にでてく... A ベストアンサー 「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。 しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。 これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。 あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。 私もにた様な経験があります。 美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。 といったら「だから、木曜以降って! 聞いてました? 木曜は駄目なんですよぉ 怒。 と言われたことがあります。 しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。 「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。 goo. php3? Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という意味にしか聞こえない)。 こんな間違いは英語の歌詞にもないでしょう。 結論を言うと、「Can you celebrate? 」は微妙なところだと思います。 「Clean Elaser」ほどひどくはないけど、英米人は言わないでしょう。 でも、歌詞になら使ってもおかしくはない・・かな??という感じです。 聞くひとも、意味はかろうじて推測できるかなという程度だと思います。 賢いひとなら、こんな詩は書かないでしょうね。 慣用だからとあきらめずに、正しい英語を使おうと努力する姿勢を評価したいですね。 中傷だけで終わるのも何なので補足します。 Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という... Q よく、フォトジェニックな被写体とか、 フォトジェニックな写真とか聞くのですが、 そもそも「フォトジェニック」ってなんなんでしょうか? 英語なのでしょうか?一応辞書を引いてみたのですが 載っていなかったので、和製英語?とも思ったりしていますが、webでいろいろ検索してみても やはり明確な意味が分かりませんでした。 私は特に写真を趣味とはしていませんが、 綺麗な写真は好きですし、動物などを 携帯で撮ってブログに載せたりします。 やはりその際に間違った言葉を使うのも どうかと思うので、 「フォトジェニック」という言葉の 正確な意味を、またどういう使い方?が 正しいのかをどなたかご教授ください。 よろしくお願いいたします。

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