2020年6月22日更新• 2020年6月18日更新• 2020年6月15日更新• 2020年6月1日更新• 2020年4月2日更新• 2020年4月1日更新• 2020年3月31日更新• 2020年3月10日更新• 2020年1月30日更新• 2019年12月24日更新• 2019年11月21日更新• 2019年11月5日更新• 2019年10月23日更新• 2019年8月26日更新• 2019年8月5日更新• 2019年7月17日更新• 2019年5月19日更新• 2019年5月8日更新• 2019年4月15日更新• 2019年4月1日更新• 2019年2月25日更新• 2018年11月15日更新• 2018年5月15日更新• 2018年3月15日更新• 2017年10月13日更新• 2017年1月19日更新• 2016年6月16日更新• 2015年4月1日更新• 2015年4月1日更新• 2014年11月13日更新• 2014年7月24日更新• 2014年4月1日更新• 2020年5月22日更新• 2020年4月3日更新• 2020年4月1日更新• 2020年3月18日更新• 2020年2月10日更新• 2019年11月5日更新• 2019年3月15日更新• 2019年3月11日更新• 2019年2月28日更新• 2019年1月9日更新• 2018年12月27日更新• 2018年12月25日更新• 2018年12月21日更新• 2018年12月21日更新• 2018年12月7日更新• 2018年11月2日更新• 2018年11月1日更新• 2018年10月29日更新• 2018年10月15日更新• 2018年7月3日更新• 2018年3月8日更新• 2017年12月18日更新• 2017年10月19日更新• 2013年12月26日更新.
次の地理 [ ] 埼玉県の北西部、東京都心から70km圏に位置している。 の中流域、のすぐ下流に位置し、その左岸に街が発達する。 古くの街道筋にあり、として栄えた。 また、街の対岸にはかつてがあり、そのでもあった。 はに発して寄居でに注ぐ。 寄居から山よりはと山地に挟まれた渓谷となっている。 このため、古くから地の利を生かした要害であった。 現在でも・及びJR・・が接続する交通の要衝地となっている。 また、(60年)に環境庁(現在の)から「風布川(ふうぷがわ)・日本水(やまとみず)」が、(7年)には国土庁(現在の)から町全域が、からは「日本水の森」が、(平成18年)には鉢形城が財団法人日本城郭協会からの認定を受けている、豊かな自然と歴史を有する町でもある。 歴史 [ ]• 古代から近世にかけての寄居町域は、に属し、一部の地域はに属していた。 (22年) - 施行に伴い、寄居町・藤田村・末野村が合併し、 寄居町となる。 (明治29年) - 榛沢郡が廃止され、になる。 (昭和6年) - 発生。 (昭和18年) - および秩父郡の一部を編入する。 (昭和28年) - 埼玉県寄居保健所が開設される。 (昭和30年) - 寄居町・(おりはら-)・(はちがた-)・(おぶすま-)・(ようど-)と合併し、新たに 寄居町となる。 (昭和36年) - 埼玉県立寄居養護学校が開校する。 (昭和37年) - が開校する。 (平成元年) - が開局される。 (平成9年)- 寄居保健所が熊谷保健所と統合し埼玉県熊谷保健所寄居支所となる。 (平成13年) - 埼玉県立寄居こども病院が閉院する。 (平成16年) - 寄居養護学校が廃校となる。 (平成18年) - 熊谷保健所寄居支所が熊谷保健所寄居分室に名称変更される。 (平成20年) - 寄居高等学校がと統合され、となる。 (平成22年) - 埼玉県熊谷保健所寄居分室が廃止される。 合併協議 [ ] 大里地区(現、当町・深谷市・)の枠組みで広域合併を検討していたが、に破綻。 後に深谷市・・大里郡・との合併協議会に参加したが、に花園町との単独合併を目指し離脱。 結局、花園町は住民投票により深谷市・川本町・岡部町との合併協議に合流を決断しに合併が成立、当町は取り残された形となった。 さらには、当町と同様に熊谷市との協議から離脱し、単独町政を行っていた同じ大里郡のが財政難から結局熊谷市と合併、大里郡唯一の自治体として単独町政を続けている。 行政 [ ]• 町長:花輪利一郎(2014年8月28日就任、2期目) 広域行政 [ ] 一部事務組合• :熊谷市、深谷市とともに処理 収集運搬を除く 、に関する事務を処理している。 事務の委託• 深谷市(深谷市消防本部):・等の業務を委託している。 人口 [ ] 寄居町と全国の年齢別人口分布(2005年) 寄居町の年齢・男女別人口分布(2005年) 寄居林業事務所• 埼玉県寄居林業事務所• 北部地域療育センター 過去に設置されていた施設• 発電総合事務所• 埼玉県熊谷寄居分室• 埼玉県立寄居• 埼玉県立寄居(廃校後、資料等はで保管・展示されている。 ) 町の施設 [ ]• 男衾連絡所・公民館• 用土連絡所• 中央公民館• 学校給食センター• 無腸庵• 寄居町生涯学舎(やまとぴあ風布)• 総合体育館・アタゴ記念館• カタクリ体育センター• 農業ふれあいセンター• 寄居町日本の里(風布館)• 鉢形城歴史館・寄居町センター 消防 [ ]• 花園消防署寄居分署• 警察 [ ]• 寄居駅前交番• 折原駐在所• 富田駐在所• 用土駐在所 電話番号 [ ] は大字秋山の一部を除き「048」。 市内局番が「5XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(熊谷)。 大字秋山の一部の市外局番は「0493」で同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(東松山MA)。 収容局は寄居局、寄居男衾局、埼玉花園局(以上熊谷MA)、東秩父局(東松山MA)。 「5xx」から始まる市内局番は当町のほか、、、、、、で使用されている。 郵政 [ ] は町内全域が「369-12xx」(が集配を担当)である。 寄居末野郵便局• 寄居用土郵便局• 寄居桜沢郵便局• 鉢形郵便局• 男衾郵便局 交通 [ ] 鉄道路線 [ ]• - -• 寄居駅 - - -• (JR東日本)• - 寄居駅 - (この間深谷市を通るが駅はない) - 路線バス [ ]• 寄居車庫 - 寄居駅入口 -• 寄居車庫 - 寄居駅入口 - -• 東秩父村路線バス()• 寄居駅 - - 役場 - 和紙の里• 和紙の里での乗り換えでや白石車庫までバスで出ることが出来る。 タクシー [ ] は県北交通圏で、・・・・・などと同じである。 道路 [ ]• 寄居皆野有料道路()• 皆野寄居バイパス• 名所・旧跡・観光 [ ]• (県名勝)• ・(湧水・)• 跡(国の・)• 鉢形城歴史館• ・(観光みかん狩り)()• 中間平緑地公園• 五百羅漢・千体荒神(少林寺)• 武州寄居七福神• 十二支守り本尊霊場• かわせみ河原• (つぶらたこ)• (玉淀湖)• 夫婦滝(めおとだき)• 墓・墓・末野窯跡(県史跡)• (漢詩碑)・(歌碑)・(歌碑)• (B級グルメ)• 町内にある採石場は、特撮のロケによく使われている。 祭事 [ ]• 寄居北條まつり(4月第2日曜)• 寄居夏祭り(7月第2土曜、日曜)• (8月第1土曜)• 寄居宗像神社秋祭り(11月第1土曜、日曜)• 寄居町産業文化祭・ふるさとの祭典市(11月中旬 土曜、日曜)• 市神節分祭(2月3日 立春の日) 姉妹都市 [ ]• ()・()• 姉妹都市盟約 寄居町、小田原市、八王子市は戦国大名の北条氏一族が納めていた縁や、近年のの開通に伴い結び付きが強くなった事から姉妹都市締結となった。 著名な出身者 [ ]• :柔道家• :日本画家。 晩年、当町に移り住む• :法医学者• :元プロサッカー選手• :柔道家• :漫画家• :シンガーソングライター• :プロ野球選手()• :お笑い芸人。 (ボケ担当)• :落語家• :双子の選手。 陸上競技部出身で、で活躍 ゆかりのある人物 [ ]• :実業家。 長女に。 少年時代、当町に疎開。 寄居小学校卒。 注釈 [ ] [].
次の尾根の頂近くにある風布のミカン園 埼玉県の北西部、大里郡寄居(よりい)町風布。 通常は「ふうぷ」と発音するが、土地のお年寄りには「ふっぷ」と言う人もいる。 400年前、小田原の北条氏が関東に進出した際に伝えられたとされる「北限のミカン」栽培が、林業と並んでこの地の主な生業だ。 標高300〜400㍍。 低山の南向きの斜面が多く、1年を通して温暖な気候で、花が絶えることがない住みやすそうな土地だ。 山々の頂に近い南向き斜面に、ひときわ緑の濃い林が広がっている。 それがミカン園だ。 25軒の生産者が、それぞれ2〜3㌶の広さで経営している。 風布のミカンは、山の高い所で栽培されているのが特徴。 盆地性の気候により、高度が上がるほど下がるはずの気温が逆に上がってゆく、「逆転層」現象がしばしば発生する。 暖地を好むミカンには山の上の方が適すると、地元では伝えられている。 現に、山を登るほどミカンの木は増える。 甘く、香りが強く、昔懐かしい濃い味がする。 10月から12月にかけてミカン狩りで訪れた人に供される「知る人ぞ知る」味だ。 そのミカンが、昨秋は不作だった。 夏場に気温が高過ぎたのと、生育期に雨が少なく水分が不足したせいではないかと地元の生産者は言う。 果実が大きくならず、そのまま黒ずんでしまうものがあった。 「集荷して箱詰めにする作業は、年寄りが多く人手が足りないため、ほとんど行われていない。 ミカン狩りに来てくれる人が少ないと困るんですよ」。 今年は、できればスプリンクラーを付けて、水不足に備えたいという。 関東大震災やバブル期を経て 最近間伐された森 「今、集落が何軒かって聞かれると、情けなくなる。 私が若かった頃は、村に分教場があって70人近い子どもがいた。 家も70戸近くあった。 昭和の末のバブルがはじけた後、農家がやってゆけなくなり、よそへ出るようになった。 その頃から20戸以上減って現在46戸」。 残念がるのは、地元の風布館の館長で県森林組合連合会会長の坂本全平さん。 今年84歳になる。 風布館は、竹下内閣時代の「ふるさと創生」資金を受けて、寄居町が約20年前に造ったレストハウスで、地元に管理を委託している。 周辺には風布川や名水百選に選ばれた湧水「日本水(やまとみず)」があり、「水の里」が、もう一つの看板。 冬場は土日だけの営業だが、おいしい手打ちそばが食べられる風布館は、親水公園、水車小屋などと共に地域のシンボルゾーンになっている。 「集落の人口は100人くらい。 平均年齢は60ではきかない。 ただ、戦前派は年寄りでも元気だ」。 坂本さんは続ける。 「この辺がスギやヒノキの林業に夢中になったのは、関東大震災の後。 明治から植林していた材を、復興需要で切り出した。 その後、また植林をして、バブル期の頃、ちょうど50〜60年たった切り頃の木があった。 材木屋が盆暮れに手土産を持ってやってきて、切らせてくれと山主を口説いていたものだった。 その頃の木材の価格は1立方㍍当たり3万円ぐらい。 そこそこに山が潤った」 昭和30年代の木材自由化の後、「20年ほど前までは、都会に近いこともあって、ぎりぎり材価は保たれていた。 今は1立方㍍当たり1万円から1万2000 円ぐらい。 切り出しの手間賃にもならない。 それと、成熟した木が少なくなって、林業が駄目になった」。 集落での暮らしは「野菜を作ればイノシシが邪魔をする。 子どもに人並みの教育を受けさせようとすると、ここでは大変。 交通が便利になって、かえって出てゆく人が増えた」。 「後々に向けて植林もしてある」 長瀞町のチップ工場に積み上げられた原料の木材 国からは森に作業道を設けたり機械化したりするための補助金が出るが、そもそも木がまだ若い。 間伐材は1立方㍍当たり2500円から3500円で、補助金が出れば、多少は山主に還元できる程度。 それでも、坂本さんが代表理事を務める地元の県中央部森林組合では、管理を委託されている森林を年間約300㌶以上間伐し、「森は少しずつきれいになっている」という。 近隣の長瀞町に設置された木材チップ工場には、1日20㌧以上の原料木が運び込まれる。 「60年から80年物のスギやヒノキが育ち、需要に応じられるようになれば、林業にも希望が持てるのではないか。 後々に向けて植林もしてある」 集落の人口は減ったが「ミカンは鳥が突つきにくるし、イノシシも出る。 そんな連中も含めて、この里で穏やかに暮らせれば、それでいいという気もしてくる」。 林業が、社会の変動に抗し、はるかな時の流れと共にある生業であることが、しみじみと伝わってくる。 風布と隣接した金尾地区に、ひときわ手入れの行き届いた森がある。 1959(昭和34)年に第10回全国植樹祭が行われた県有林の会場だ。 昭和天皇・皇后両陛下のお手植え木を中心にしたスギ、ヒノキ、ヤマツツジの森が「記念植樹地つつじ山」として保全されている。 今、重機が入って、道づくりや整備作業が進められている。 この秋、ここで第37回全国育樹祭が開かれ、昭和天皇の孫に当たる現・皇太子殿下が、世代を超えた森づくりの象徴として、お手植え木に施肥される予定だ。 (グリーンパワー2013年4月号から転載).
次の