馬と鹿 歌詞。 「馬と鹿」/米津玄師【歌詞付き】「ノーサイド・ゲーム」主題歌をヴァイオリンとピアノで弾いてみた!Uma to Shika/ Kenshi Yonezu [Violin & Piano]

米津玄師 馬と鹿

馬と鹿 歌詞

馬と鹿 米津玄師の歌詞と意味は? まず 馬と鹿の歌詞を見てみましょう。 lyrical-nonsense. 日曜劇場 ノーサイドゲームの主題歌なので ドラマの内容同様 曲の内容も逆境の中をどう進んでいくのか? だったり、情熱や衝動のようなものが テーマとなっています。 ドラマではライバルに塩を送って 逆に不利になる状況になりながらも、 正々堂々と戦う場面などがありますが、 いつの世でも 天才は周りに理解されないが故の孤独を抱えています。 主人公の 大泉洋演じる君島隼人が 弧線奮闘する思いに 米津玄師は自分の思いを重ねていたのではないか?と思えます。 自分が味わっていた 天才であるが故の深い孤独を 重ね合わせていたのではないかと思えるのです。 歌詞全体が 救いようのない孤独感に満ちている と思うのは私だけでしょうか。 【 傷跡隠して歩いた 】 隠さなければ歩けないほどの孤独。 【 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く】ほどの 孤独。 それはだれにも理解されない ここに自分の居場所がない! それでも 【気づいて欲しかった まだ歩けるか 】 と時には自分に問いながら それでもなお 孤独のまま歩き続ける絶望にも似た 思いがにじみ出ています。 次に気になるフレーズが 【くだらない願い】 これは何にを意味しているのでしょう。 【 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないまま 君じゃなきゃ駄目だと 叫ぶ】 壮絶な場面です。 ドラマでは 主人公は結果を残し 自分の居場所を勝ち取るのでしょう。 でも 米津玄師 にとっては 自分の居場所を求め続ける 孤独な魂の叫びがやむことはないのではないかと思うのです。 つくづく 天才は魂の孤独を抱えて生きているんだと その才能が故の絶望的な孤独を垣間見た思いがします。 TBS日曜劇場「ノーサイドゲーム」の主題歌を担当させて頂きました。 「馬と鹿」という曲です。 大泉洋さん演じる君嶋が、逆境の中をひとつひとつ進んでいく様をどうにか音楽にできないかと探っていった末にこの曲ができました。 素敵なドラマとご一緒できて嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 【馬と鹿】のPVは2019年9月2日に 東京・表参道ヒルズのスペース オーで 先行視聴会『鏡の上映会』にて初披露されたものです。 『鏡の上映会』の会場は四方を鏡でおおわれて 来場者の姿が鏡に乱反射するという演出の中 PVが上映されました。 PV上映の環境も 演出もとても凝ったものです。 総勢120人のキャストと共に「衝動」や「情熱」を表現しているとのこと。 PVもPV上映の環境も凄い!の一言ですね。 次に気になるのが 馬と鹿というタイトル。 馬と鹿でなぜバカ? 中国を統一した秦 の頃のお話 皇帝 が献上された馬を 鹿だと主張し 家来に 馬か鹿かと問います。 皇帝のご機嫌伺いの家来は鹿だと言い 真実を知っている家来は馬だと言います。 怒った皇帝は 馬だと真実を言った家来を処刑します。 この故事から 馬と鹿の区別がつかない者を「馬鹿者」と呼ぶ ようになったのです。 ということは タイトルの 【馬と鹿】に込められた 米津玄師の思いと 歌詞の内容が深く 突き刺さります。 馬と鹿 米津玄師主題歌のドラマって? 日曜劇場 ノーサイドゲームのストーリーを要約すると エリート社員だった大泉洋演じる、 「君島隼人」が上司に反対意見を言ったら、 降格されてしまいます。 馬と鹿の故事に似ていますね。 飛ばされた先の自動車工場には ラグビーチームがあり、 そのラグビーチームの監督まで任される事になってしまいます。 多額の赤字までもこの工場は抱えていることが明かされます。 ラグビー素人の君島は この立ちはだかる大きな壁を どうやって乗り越えるのか? という物語です。 この主人公の目の前に立ちはだかる 壁と 自らの 人生課題の孤独という壁を 米津玄師は思いを重ね合わせて曲を作ったと思うのは 私の偏った見方でしょうか? 米津玄師って誰? 米津玄師ってどう読むの? って思いませんか? 私は正直正しく読めませんでした。 正解は よねず けんし と読みます。 では この 天才アーティストに言及してみましょう。 1991年3月10日徳島県生まれました。 2009年より「ハチ」名でニコニコ動画へオリジナル曲を投稿し始め、 2012年に「米津玄師」名でアルバム『diorama』をリリースします。 一躍評判になり ミュージックビデオは 3億回再生、 ダウンロードは 200万回、 フィジカル 50万枚を突破し、 素晴らしい実績を打ち立てました。 2018年末には第69回NHK紅白歌合戦に出演 2019年1月より海外含む全国アリーナツアー「脊椎がオパールになる頃」を実施しています。 脊椎がオパールになる頃 なんてネーミング天才でなくちゃ思いつきません。 凡人の私には 意味さえ分かりませんから。 米津玄師はシンガーソングライターだけではなく イラスト・映像・プログラミング・ミックス・演奏ですら 自分 自身でやってしまうほどの天才アーティストです。 馬と鹿は 2019年 9月11日に リリースされます。 米津玄師の天才ぶりは アイネクライネの動画でも見ることができます。 奥深い歌詞や メロディーの美しさ 動画の美しさと悲しさ そのすべてが 彼自身の 内なる思いと孤独と才能を映し出しています。 感動するとともに どうしてそんなに傷つくの? 自分自身を傷つけるの? と 凡人の私は悲しくなりました。 それが 凡人の私と 天才の彼との違いなのでしょう。

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【米津玄師/馬と鹿】歌詞の意味を徹底解釈!スポーツの美しさを見事に描いた曲

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歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生き足りないと強く また味わうさ 噛み終えたガムの味 冷めきれないままの心で ひとつひとつなくした果てに ようやく残ったもの これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ 花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい 疲れたその目で何を言う 傷跡隠して歩いた そのくせ影をばら撒いた 気づいて欲しかった まだ歩けるか 噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 はやる胸に 尋ねる言葉 終わるにはまだ早いだろう 誰も悲しまぬように微笑むことが 上手くできなかった 一つ ただ一つでいい 守れるだけで それでよかったのに あまりにくだらない 願いが消えない 誰にも奪えない魂 何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を 晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ 恐れるままに花の名前を 君じゃなきゃ駄目だと 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい あまりにくだらない 願いが消えない 止まない TBS日曜劇場「ノーサイドゲーム」の主題歌を担当させて頂きました。 「馬と鹿」という曲です。 大泉洋さん演じる君嶋が、逆境の中をひとつひとつ進んでいく様をどうにか音楽にできないかと探っていった末にこの曲ができました。 素敵なドラマとご一緒できて嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 米津玄師twitterより 今回は主人公が「逆境」に立ち向かっていく様をテーマにした作品である ことを理解することができますね。 そして一口に逆境という漠然とした状況について論じるのではなく、逆境の 色々な側面をなぞって一つ一つ取り上げている歌詞のようです。 さてタイアップとなるドラマの内容に少し触れてみたいと思います。 「ノーサイド・ゲーム」~あらすじ~ 主演である 大泉洋が演じる 君嶋隼人は、大手自動車メーカー「トキワ自動車」の 中堅サラリーマン。 君嶋は出世レースの先頭に立ち幹部候補とまで言われていた が、上司が主導する企業買収に異を唱えた結果、左遷人事で府中工場に総務部長 として赴任することに。 意に染まない 異動だが、これもサラリーマンの宿命。 や るせない思いで赴任先の工場に赴いたところ、トキワ自動車ラグビーチーム 「ア ストロズ」のゼネラルマネージャーを兼務するよう命じられる。 かつては強豪チ ームだったアストロズだが、いまは成績不振にあえいでいた。 こうして知識も経 験もない君嶋にチーム再建という重荷が課せられた。 低迷するラグビー部と出世 の道を絶たれた君嶋の、 再起をかけた戦いが始まる。 左遷させられ低迷した主人公はどのように逆境を乗り越えていくのでしょうか。 現在公開されているドラマの内容に触れつつ歌詞からその点を紐解いていきまし ょう。 タイトル『馬と鹿』とは 二頭の動物で構成された実に奥深く不思議なタイトルですね。 二つの漢字をくっつけると「馬鹿」という単語になることに気づきます。 「馬鹿」には「愚かなこと、利口でない、社会の常識に欠けている」という 意味があります。 さらに二頭の動物が持つ意味や象徴にも注目してみましょう。 まず 「馬」ですが昔から馬は戦争において重要な役目を果たしていました。 軍馬としてまた移動手段として用いられ幅広い分野で活躍していたのです。 ですから国にとって馬の数は貴重であり重要な財産とみなされてきました。 ですから馬は 「富や権力」の象徴であり 「高貴」なイメージもあります。 続いて 「鹿」について考えてみましょう。 仏教では 「ハーモニー、幸福、平和、長寿」また別の説では精神世界と 物質世界の バランス」という意味合いがあるそうです。 上記の意味を抜粋して考えると「 協調と安寧」といったところでしょう。 確かにドラマ主人公は「馬」のような時期、つまり富や権力を得て出世 コース邁進中の期間がありました。 それでも左遷されてからは人生は一変して弱小ラグビーチームの底上げ 役として歩んでいくことになります。 出世は平和などなく誰かを蹴落としてのし上がる面が強いでしょう。 しかしチームワークを重視するスポーツなどにおいては主人公が平和や 協調そして安寧の大切さを痛感したに違いありません。 まさに「鹿」のような期間を体験しているわけです。 では実際に歌詞から考察を始めていきましょう。 『馬と鹿』歌詞の意味 無味な日々の中で研ぎ澄ました感覚 歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生き足りないと強く また味わうさ 噛み終えたガムの味 冷めきれないままの心で ひとつひとつなくした果てに ようやく残ったもの 主人公は心に深く歪んだ傷跡を残しました。 原因は春に起きたあることがきっかけです。 ドラマの主人公に重ねるとそれは人事異動 だと理解できます。 歌詞に「春」とあるのは春の季節に人事異 動が多いからだと解釈できます。 意に沿わない左遷は彼にとっての逆境を生 み出しました。 それでも彼は自分に正直にありたい、無感 覚な状態で生きたくないと考えました。 その点が「麻酔も打たず」というフレーズ から悟ることができます。 「噛み終えたガムの味」という表現は主人 公の左遷後の日々が味気ないものになって しまったことを描写しているに違いありま せん。 馬のように勢いに任せて疾走するような日 々は終わってしまいました。 それでも彼は何か心の中の大事なもの、、 そう大事な感覚を研ぎ澄ませていたのです。 愛という名の原動力 これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ 花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい 味気ない日々を送る主人公でしたが新しい人生を 歩む中である感覚、感情とも言うべきものを実感 していました。 それは「愛」と呼べるものでした。 そしてここで出てくる何と呼ぶか知らなかったも の、そして呼ぶことができた花の名前とはラグビ ーチームのメンバーのことを指すのでしょう。 主人公が出世コースを邁進している期間には当然 彼らの存在を知りません。 つまり一人一人の選手の名前を知らないわけです。 ドラマ第二話予告ではチームは「家族」だと言う 台詞がありました。 絆が強まり、そして家族としての認識が全面に強 調されていました。 家族の名前は当然一人一人言えることでしょう。 同時に家族には「愛」という感情が芽生えます。 主人公とチームは近づいたり離れたりを繰り返し ます。 信頼関係の構築には時間がかかるものです。 その点を描写するフレーズとして「鼻先が触れる 呼吸が止まる」という表現が用いられています。 少し触れては離れる距離感、そして呼吸が止まる ように思える事件。 それらすべてを受け入れ前進していけるのは主人 公がチームへの愛に動かされてのことなのです。 馬鹿げた願い 痛みは消えないままでいい あまりにくだらない 願いが消えない 歌詞中で何度か出てくる「痛みは消えないまま でいい」というフレーズはどういう意味でしょう。 それは辛い経験から学んだ教訓のことだと解釈 できます。 出世コースから外れなければ理解できなかったこと そしてラグビーメンバー一人一人。 それらと触れることで主人公は「愛」という感情を 覚え、大切な感覚を抱くことができたのです。 それは願いに変わり逆境に立ち向かうための原動力 となり主人公を一層強い大人へと変えていきました。 確かになにもかもが馬鹿げて見えた日々でした。 それでも泥に塗れ汗を流し精一杯生きる今が彼にと っては大事に思えたのです。 世間から評価されない彼の戦いはまだまだ続いてい きそうです。。 まとめ いかがだったでしょうか。 自分の理想や期待とは違う人生になると普通は落胆する ものです。 自暴自棄になる人もいることでしょう。 それでも主人公は腐ることなく目の前に用意された逆境 と戦っていきました。 歌詞やドラマから順調でないと思えるときこそどう考え どう行動するかを学ぶことができました。 また米津玄師さんの透き通って心にゆっくりと広がっ ていく声にも魅了されましたね。 次回作と今後の活動に期待し注目していきたいと思います。 素敵な作品をありがとうございました。

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馬と鹿 歌詞「米津玄師」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

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今回も彼のインタビューを参考にしていきます。 彼はこの曲を作っている時に「馬鹿みたいな曲」と思ったからこのタイトルをつけたそう。 ここでの「馬鹿」は「 馬鹿になって何かに夢中になる」という意味に近いと思います。 「海の幽霊」でずっと好きだったアニメの主題歌を務め夢を叶えた彼は燃え尽き症候群になったと言います。 そこで彼は「 我を忘れる」ということを大切にしました。 これはラグビーのドラマ『ノーサイドゲーム』の主題歌であったので、スポーツについて描かれています。 私はこの歌は 『 スポーツの美しさ』 を描いているのではないかと思いました。 「春」と聞くと花が咲いて美しいイメージですが、ここでは 辛い時期の象徴として描かれています。 どれだけ傷ついても「麻酔を打って」 痛みから逃げようとせず、受け止めます。 「 生き足りない」 その渇きが前へと進む原動力になっています。 むしろ逆で、 普段は地味で単調にも思えるような練習の積み重ねがほとんど。 喜びは一瞬です。 もう「噛み終えた」と捨ててしまわずに、その単調できつい練習に耐えながらまだ続けます。 ひとつひとつ要らない物を無くしてようやく残ったものは何なのか? それが次で明らかになります。 チームを「 花」に例えています。 蕾である期間のほうが長いかもしれませんが、 その努力が実った時何よりも美しいものとなります。 そしてそれは呼吸が止まるほど嬉しく輝かしい瞬間です。 まさに スポーツの「美しさ」を表しています。 チームを愛しているからこその場合もあるかもしれません。 チームを愛しているからこそ、自分の心に抱えている 辛さ を吐き出せない。 それなのに八つ当たりしてしまう。 これは「気付いてほしい」というSOSサインなのかもしれません。 1番では人間の「力強さ」を描いていますが、2番では 人間の「弱さ」も描いています。 夜露は 先が見えない暗い中流した涙の例えではないでしょうか? 「もうダメかもしれない」 冷静になれずそんなことを思っている時、支えてくれるのはいつもチームの言葉でした。 チームを守ることだけでよかったと。 大きな「夢」。 絶対に叶えよう。 そう心に強く誓います。 これは スポーツでの「勲章」とも言えるのではないでしょうか? まだ「花」は咲いていません。 それでも、 希望が見えなくてもひたすら前に進んでいこう。 苦しみを乗り越えてさらに強く羽ばたこうとする選手の強さが描かれています。 その 「止まない」夢が選手をさらに上、さらに上へと突き動かしていきます。

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