ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト。 ホロフェルネス

勇敢かつ魔性の女ユディトの絵画9選。祖国の為に男をたぶらかし、首を斬り落とす女 : メメント・モリ

ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト

当時多くの若い女性がそうだったように、アルテミジアも家にこもりきりの生活を送り、教会へ行く以外ほとんど外へ出ることはなかった。 女子修道院へ入ることを拒み、自宅にあった父親のアトリエで長い時間を過ごした。 当時、画家志望の男性のアトリエに女性が助手として入るというのはよくあることだった。 アルテミジアも父親のアトリエで学びながら、元々備わっていた画家としての才能に磨きをかけていった。 アルテミジアが子どもの頃、イタリアの美術界は画家カラヴァッジョ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ)の登場に騒然としていた。 バロック期の大胆で華麗、劇的な作風が、多くの画家を魅了した。 オラツィオも、熱心なファンのひとりだった。 カラヴァッジョの影響は、オラツィオや娘のアルテミジアの作品にもよく表れている。 アルテミジアが弱冠17歳にして描き上げた「スザンナと長老たち」(1610年)には、カラヴァッジョ特有のスタイルをはっきりと見ることができる。 暴行と復讐 1612年ごろ、アルテミジアは旧約聖書の一場面である「ホロフェルネスの首を斬るユディト」の制作に取り掛かった。 旧約聖書の「ユディト記」によると、イスラエルを攻撃しようとしていたアッシリアの将軍ホロフェルネスは、寡婦だったユディトを求め、彼女を自分の天幕に招き入れたが、酒に酔って眠り込んでしまった。 ユディトは貞操を守り、自分の民族であるイスラエルの人々を救うため、ホロフェルネスの首を切り落とした。 この場面は、カラヴァッジョをはじめルネサンス期の画家たちが好んで描いたが、アルテミジアにはこの暴力的な題材を選んだ個人的動機があったと広く考えられている。 オラツィオは、仕事で知り合った若き画家アゴスティーノ・タッシに、娘に遠近画法の指導をしてほしいと頼んだ。 タッシはこれを受け入れた。 1611年、オラツィオが留守の時に、タッシはレッスンの間アルテミジアとふたりきりにしてほしいとアルテミジアの付添人に頼み、付添人がいなくなるとアルテミジアに性的暴行を加えた。 これを知ったオラツィオはタッシを訴えたので、タッシは1612年に裁判にかけられた。

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『ホロフェルネスの首を斬るユディト』カラヴァッジョ作品の解説

ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト

はじめに 今回はバルベリーニ宮所蔵、そしてカラヴァッジョ展2019にもやってくる、カラヴァッジョ作『ホロフェルネウスの首を斬るユディット』を解説していきます。 バルベリーニ宮 参考文献 この記事は以下の本、文献を参考にしています。 画家 大友義博 『一生に一度は見たい西洋絵画 BEST100』 大友義博 美術に苦手意識がある人はこの本から読みましょう。 宮下規久朗 『もっと知りたい カラヴァッジョ』 宮下規久朗 カラヴァッジョの人生、作品についてもっと詳しく知りたくなった方は是非。 カラヴァッジョとは? カラヴァッジョとは? ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは、バロック期のイタリア人画家。 ルネサンス期の後に登場し、カラヴァッジョという通称で広く知られ、1593年から1610年にかけて、ローマ、ナポリ、マルタ、シチリアで活動した。 口が悪いことでも有名。 こうした生々しい絵は当時としては衝撃的だったに違いなく、カ ラヴァッジョから珍しく優れた画家と認められていたアンニーバレ・クラッチはこの絵について「あまりにも生々しすぎる」と言ったとのことです。 『ホロフェルネスの首を斬るユディット』解説 嫌悪の表情を浮かべるユディット、驚愕と恐怖の悲鳴をあげるホロフェルネス、そして、思わず袋を握る手に力が入り、この惨劇に目をむいて凝視する従者の老婆など、三者の表情と身振りが見事に表現されており、斬新な歴史画が生み出されています。 『ホロフェルネウスの首を斬るユディット』 1598-99年、バルベリーニ宮 ホロフェルネスの首の位置が当初より右にずらすように修正されており、当時何度も行われていた公開処刑に触発されたと考えられます。 ユディットの胸は明るく照らされ、ホロフェルネスの胸は陰となっており、明と暗の対比がそのまま生の死の対比となり、劇的な場面をより際立たせています。 お土産 Souvenir ここまでお疲れさまでした。 良かったらお土産もご覧ください。 映画 Movie 検索: 検索 最近の投稿• アーカイブ• カテゴリー• 20 プロフィール.

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カラヴァッジオ(カラヴァッジョ)の生涯と代表作・作品解説

ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト

ホロフェルネスの首を持つユディット:クラナッハの官能美 壺齋散人の 美術批評 |||||| || ホロフェルネスの首を持つユディット クラナッハは、「ホロフェルネスの首を持つユディット」と云うテーマの絵を、とくに1530年以降、非常に多く描いた。 それらには、切断された男の首を得意げに持つ、若い女性の表情が描かれている。 ユディットという女性を巡る物語は、旧約聖書の「ユディト記」に出てくる。 アッシリア王ネブカドネッサルが、自分に敵対する国々に討伐軍を差し向けたが、ユダヤにはホロフェルネスが差し向けられた。 ユダヤ人たちは、降伏することを決意するが、その時に一人の女性が立ち上がって、敵軍の陣地に忍び込み、敵将ホロフェルネスの首をはねてしまったのである。 将軍を失った敵軍は退却、かくてユダヤは討伐を免れたという話である。 この物語のテーマを何故、クラナッハが繰り返し描いたのか。 色々な推測がなされているが、もっとも有力なのは、宮廷の貴婦人たちの肖像画だとする解釈である。 貴婦人たちから肖像画の注文を受けたクラナッハは、ただ単に婦人たちの表情を描くだけではなく、彼女らをユディットとだぶらせることによって、その気高さを表現しようとしたというわけである。 ユディットとホロフェルネスの関係を、サロメとヨハネの関係に置き換えたものもあるが、こちらは恐らく、貴婦人達には余り評価されなかっただろうと思われる。 ヤークトシュロース・グリューネワルト) || 作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved C 2011-2013 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである.

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