ジャニー喜多川。 ジャニー喜多川氏の「泡風呂の儀式」「頬にキス」……オモチャにされた「15歳」が語る真実(2018/08/29 21:00)|サイゾーウーマン

ジャニー喜多川氏の「泡風呂の儀式」「頬にキス」……オモチャにされた「15歳」が語る真実(2018/08/29 21:00)|サイゾーウーマン

ジャニー喜多川

金剛峯寺壇上伽藍(写真)と奥の院は、高野山の中でも2大聖地とされている(写真/アフロ) 深い霧に包まれた参道の両脇には無数の石塔。 周辺には樹齢数百年の杉の巨木がそびえ、視界の先には墓地が広がる。 長い年月の経過を刻んだ苔むした墓が多く、その歴史が感じられる。 参道から一本脇道に入ると、人の話し声も鳥の声すらも聞こえなくなり、耳に届くのは杉の枝が風に揺れる音ばかり。 木々が生い茂る山林に歩を進めると、整備されたばかりの一角に、2基の墓がひっそりとたたずんでいた。 和歌山県北部に位置する高野山。 周囲を標高1000m級の山々に囲まれた盆地で、1200年以上前に弘法大師(空海)によって開かれ、真言密教の修行の場となっている。 さまざまな謎を残す場所で、先日発売された歴史小説『高野山』(小学館)をはじめ、多くの戦国史ミステリーの題材にもなっている。 金剛峯寺を総本山とし、117もの寺院で構成され、「一山境内地」と称し高野山全体がお寺になる。 20万墓を超える墓があり、新たにジャニーさんが加わることになる。 高野山とジャニーさんには、浅からぬ縁がある。 ジャニーさんの父・諦道さんは真言宗の僧侶で、一時期はアメリカ・ロサンゼルスにある高野山真言宗米国別院の主務を務めていた。 ジャニーさん一家と親交があった人物はこう語る。 「ジャニーさんのお父さんは、高野山にある寺院で得度したんです。 得度とは僧侶となる出家の儀式のこと。 その後、布教のためロサンゼルスに渡り、その地でジャニーさんは生まれました。 2才の時にジャニーさんは、ご家族で帰国して大阪で暮らし始めました。 当時、私は大阪で彼らとお会いしたことがあり、親切にしてもらいましたよ。 ご家族がアメリカに戻り、東京へ行ったのはその後です。 そういった縁があり、ジャニーさんのお父さんのお墓も高野山にあるんですよ」 高野山の墓地は広いが、なかでも弘法大師が眠る奥の院と呼ばれるエリアには、織田信長や豊臣秀吉、上杉謙信といった、歴史上の人物の墓が並び、歴史好きが足を運ぶ。 企業の墓もあり、容器の形をしたヤクルトの墓石、コーヒーカップをかたどったUCC上島珈琲の墓石もよく知られている。 しかしジャニーさんの墓は周囲の墓よりも広い聖地にあり、シンプルで静謐(せいひつ)さが漂う。 日本の芸能界で比類なき活躍をしたジャニーさんならば豪華絢爛な墓石を想像してしまうが…。 そこには意図があるようだ。 高野山の寺院関係者が明かす。

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【日本のタブー】SMAPがやめた理由もわかる。ジャニー喜多川の性的虐待が信じがたい……。|イケハヤ大学【ブログ版】

ジャニー喜多川

ジャニー氏への怨みの深さが、どの暴露本の著者よりも凄まじいのだ。 だが、その理由は、十分に理解ができる。 同著出版の前年の04年2月、99年に一大キャンペーンでジャニー氏のホモセクハラや児童虐待を告発した『週刊文春』(文藝春秋)をジャニーズ事務所とジャニー氏が提訴して始まった裁判に決着がついていた。 裁判の中では、実際にジャニー氏のホモセクハラを受けてきたという元ジャニーズJr. のメンバーが証言台に立ち、法廷でジャニー氏と直接対決したことが、当時、大きな話題となった。 その結果、第一審ではジャニーズ側の勝訴となったが、第二審ではホモセクハラ行為が事実と認定された。 当然、ジャニーズ側は上告したが、これが棄却され、裁判所は改めてホモセクハラ行為に関する記事の主要部分を真実と認めたのだ。 文春側が支払う損害賠償額は、一審の880万円から120万円に減額された。 形式上は、名誉毀損が認められておりジャニーズ側が勝ったことになるが、裁判の勝敗以上に、ジャニー氏のホモセクハラが、裁判所によって事実と認定されたという現実は重大である。 そんなジャニー氏を放置してきたテレビ界もこれを無視できるはずはなく、ジャニー氏糾弾の機運が高まることは当然の流れかと思われた。 ジャニー氏を糾弾すべく綴られた「過激な内容」 だからといって、心の傷が完全に癒えることはないだろうが、多少の慰めにはなるだろうと、ジャニー氏の毒牙にかけられた少年たちの多くは期待していたはずだ。 だが、その期待もむなしく、ニュース、ワイドショーはこの裁判の結果を完全スルー。 結局、ジャニー氏は表立った批判を受けることもなく、何の社会的な制裁も受けないまま、絶大な権力と影響力を保ち続けて1年がたとうとしていた。 そんな中で出版されたのが、この『Smapへ』だったのだ。 この問題人物をこれ以上のさばらせてはいけないという強い思いから、その内容がより過激になっていたのだろう。 木山氏は、同著の「序章」にこう綴っている。 決して名誉を抱えたままでは死なせない。 あなたに2年間、おもちゃにされた人間だからこそ、今、僕が真実を語る。

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メリー喜多川

ジャニー喜多川

ジャニーズ事務所は、ディズニーのように 帝国を作り上げた男が逝き、その崩壊を予想する者は後を絶たなかった。 しかし、この1年は、創設者の世界観を守り抜き、後世に残して行くための第1段階のはじまりだったと、『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の著者、霜田明寛氏は読み解く。 ジャニーズ所属タレントの言葉を交えながら、その哲学に迫る。 ジャニー喜多川が亡くなって、1年が経った。 2019年、7月。 ジャニーズ事務所を創り上げた人物の突然の死に「ジャニーズ事務所崩壊の序章か?」と書き立てるメディアも多くあった。 だが、結論から言うと、ジャニー喜多川の死去から1年が経っても、ジャニーズ事務所及びジャニーズタレントの力は弱まっていない。 ギネスが認めたジャニーさんと彼が認めたタッキー 「じゃあ、ジャニー喜多川という人の存在意義はそう大きくなかったのか?」と考える人も多いかもしれないが、そうではない。 むしろ、逆である。 ジャニー喜多川がいなくなっても、ジャニーズがジャニーズとして生き続けている。 それが、真にジャニー喜多川の偉大な部分なのである。 そしてジャニー自身もそれを予言していた。 以前「ポストジャニーは?」と聞かれ、こう答えている。 「ジャニーが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。 マネージャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。 まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。 ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。 だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ」(AERA 1997年3月24日号) 真の素晴らしい組織は、創設者がいなくなってもまわるようにできている。 ウォルトの死後もその世界観は薄まることなく、ブレずに生き続け、むしろ、世界中のテーマパークや、死後に作られた作品によって、人々との接点を増やし、より多くの影響を与え続けている。 ジャニー喜多川が残したその世界観は唯一無二のものである。 ジャニー喜多川作・演出の舞台では「大人は子どもには戻れない」「ジャパン最高!」「戦争反対」といった強いメッセージ性、ライブではパレードのようにトロッコで会場内をまわったり、噴水の中で水着で踊ったりフライングをする少年たち……と、アートとエンターテインメントの融合と形容してもいい強固な世界観が構築されている。 そもそもジャニーズ以前には、10代の少年が歌い踊るという文化さえなかったのだ。 きっと、ジャニーズ事務所は、ディズニーのようになっていくのではないか、と思っている。 (ここでは割愛するが、ジャニーズとディズニーは自らのキャラクター/タレントを思うがゆえに、著作権/肖像権に対する意識が高いことも共通している) ジャニーさんだったらどう考えるかな? そして、ジャニー喜多川死去からのこの1年は、その世界観を守り抜き、後世に残していくための第1段階のはじまりのときだった、と言っていいだろう。 NEWSの小山慶一郎は、死の翌月にこう語っている。 「ジャニーさんがお亡くなりになって、もう一度、ジャニーズ事務所で活動させて頂いていることに、それぞれが向き合っている」(TOKYOFM『DearFriends』2019. 30) KinKi Kidsの堂本光一も死後半年のタイミングでこう語った。 ジャニー喜多川だったらどうするのか。 もう本人には聞くことができないからこそ、自分の中のジャニーさんに問いかける。 9月、ジャニー喜多川作・構成・演出で上演の準備を進めていた舞台『DREAM BOYS』に、KinKi Kidsの堂本光一が演技指導として参加。 その後も、Hey! Say! JUMPのライブの演出を手がけるなど、舞台経験の多い光一は、演出面でも後輩指導に動きはじめた。 堂本剛は後輩のA. C-Zの舞台の楽曲として提供する「You…」、KinKi Kidsのシングル「KANZAIBOYA」と曲を作る形で、ジャニーへの想いを表現している。 また、山下智久がジャニーズJr. 大倉忠義や山下智久のような、一時は独立説を囁かれていたタレントたちもこの動きに連なっていることから、喪失によってより、ジャニーズへの想いが強まっていることを感じる。 山下智久は後輩をサポートする流れについてこう語っている。 「やっぱりみんな好きなんじゃないですか、ジャニーズが。 これまで何十年もジャニー(喜多川)さんのやり方や作り方を体で感じながら、自分たちでも表現しながらやってきたわけじゃないですか。 それを伝えるべき人がいなくなった今、培ってきた人たちが代わりに伝えていくっていうのは、まぁ…必然だよね。 僕らはファミリーだから」(『TVガイドPerson』vol. ただ、ひとつだけ、懸念点が残る。 僕には20年後の顔が見えるんだよ ジャニーズタレントになることを夢見て、事務所に大量に届く履歴書を、ジャニー喜多川は全てひとりで目を通し、選んでいたという。 オーディションでも同様で、ジャニー自ら、会場で選考をする。 V6の岡田准一、Sexy Zoneのマリウス葉や松島聡がそうだったように、見つけてきて1年以内の少年を急にCDデビューさせたり、ジャニーズJr. 内の中心ユニットに抜擢し、大きな舞台に上げる……ということは繰り返しおこなわれてきた。 ジャニーズJr. の中では、ジャニーの感性でユニットを作ったり、メンバーを変更したり……ということは日常茶飯事だった。 ジャニーの死後は、新たにSnow ManとSixTONESという2組がデビューしたものの、彼らはジュニア歴の長い、10年選手が中心のユニット。 ジャニーズJr. 内でも大きなユニットの改変や、大抜擢はおこなわれていない。 これらを鑑みると、もしかしたらジャニーの感性や、人を見抜くテクニックは、他の誰にも真似できるものではないのではないか、という不安がよぎる。 ただ、ジャニーが人を選ぶときに発揮していたのは、あながち感性だけではないのかもしれない、と思うエピソードが一周忌を機に、明らかにされている。 ちゃんと名前で呼んでくださいます ジャニーといえばタレントのことを「YOU(ユー)」と呼ぶことが広く知られており、それはタレントたちの間では「人の名前を間違えないようにする配慮」という解釈もあれば、「もしかしたら名前を覚えていないのではないか」という説も囁かされていた。 だが、KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けるなど、ジャニーとも親交の深かった山下達郎はこう証言している。 「YOUね、が有名ですけど、我々には絶対そういう言い方はしません。 ちゃんと名前で呼んでくださいます」(TOKYO FM『山下達郎のサンデー・ソングブック』2020年7月5日) 少なくとも、事務所の外の仕事相手には、名前を覚えて、名前で呼んでいたようだ。 では、タレントの名前に関してはどうだったのだろうか。 1980年、元・シブがき隊の薬丸裕英は、履歴書を送ったものの「ひとりで行くのが嫌だ」という友人がオーディションを受ける付き添いとして、ジャニー喜多川に初めて出会う。 そこで「YOUもレッスン受けてみない?」と言われ、アイドル人生が始まることになる。 結局、その友人はほどなくしてレッスンに来なくなり、デビューすることはできなかったという。 (フジテレビ『TOKIOカケル』2020年7月8日) そしてそれから約40年のときが経ち、薬丸が長女をジャニーズの舞台につれていき、挨拶をするとジャニー喜多川は、こう長女に告げた。 「YOUのお父さん、タレントとか、なりたくなかったんだよ、本当は。 笑っちゃうでしょ。 最初、カワサキくんって子がいて、本当はそのコがタレントになりたかったんだよ」 なんと、ジャニーは、過去にレッスンを受けただけの薬丸の友人の名前を覚えていたのである。 後日、驚いた薬丸が東山紀之にそのことを告げると、東山はこう言ったという。 「ジャニーさんって全部覚えているんだよ」 YOUと複数形にして一括りにしてごまかしているように見えて、本当はそのYOUは単数形で、出会ったひとりひとりのことを記憶している。 実はジャニー喜多川は、想像を絶する愛情をもって、真摯にひとりひとりの人と向き合ってきたのではないだろうか。 霜田明寛 1985年東京都生まれ。 早稲田大学商学部卒業。 9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr. オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。 就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』 新潮新書 は3刷を突破。 また『永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー』の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。 SBSラジオ『IPPO』凖レギュラー。 週刊新潮WEB取材班編集 2020年7月12日 掲載 外部サイト.

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