性愛とは。 年を取るのは怖くない。シルバー世代の性愛が花盛り!

性愛とは

概要 [ ] 最初に辞書における語義の説明に軽く触れ、次に、伝統的な用法、各宗教における説明で人々の間に定着している意味を解説し、その後現代の多様な用法まで、歴史に沿って解説する。 辞典等の主要語義の解説 [ ] では、次のような語義をあげている。 親兄弟のいつくしみあう心。 ひろく、やへの思いやり。 男女間の愛情。 大切にすること。 かわいがること。 めでること。 〔〕 神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。 〔〕 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。 「」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる。 日本語の「愛」の意味の変遷 [ ] 日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい 、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま 、を意味した。 に入り、西洋での語義、すなわち英語の「love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。 その際に、「1. の愛の概念、2. 的な愛の概念、3. 小説の至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多様な用法が作られてきた。 伝統的な説明、宗教的な説明 [ ] 古代ギリシア・キリスト教での愛 [ ] において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりも である。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。 )について説明している ことが多い。 それらは以下のとおり。 キリスト教では家族愛。 (古代ギリシアでは風、火、水、土を結合させる愛、であった。 キリスト教では性愛。 (古代ギリシアでは自己を充実させる愛、であった。 キリスト教では隣人愛。。 (古代ギリシアでは友人の友人に対する愛。 キリスト教では真の愛。 (古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛、であった。 )新約聖書においては「神は愛です」( 4:8, 16)に代表されるように、神の本質が愛であり、特にを通して愛が示されている。 「アガペー」及び「フィーリア」は聖書に用いられているが、「エロス」は用いられていない。 イエスは言った「されど我ら汝らに告ぐ、汝らの敵を愛し、汝らを迫害する人のために祈れ」( 5:44)と。 ここに自分を中傷し敵対する相手であれ、神の子供として、また、罪を贖われた者として、隣人とみなして赦し合うべきであるという、人類愛の宣言がある。 は対神徳として信仰、希望、愛を掲げたが、「そのうち最も大いなるは愛なり」( 13:13)と言い、「山を移すほどの大いなる信仰ありとも、愛なくば数うるに足らず」(同13:2)、「愛を追い求めよ」(同14:1)としるし、すべての徳とキリスト教における愛の優位性を確立した。 また彼は、神の永続的な無償の愛を恩寵 charis( 1:5、ほか)と呼び、これはのちに gratiaとラテン語訳されて、キリスト教神学の原理的概念として重んぜられたのである。 西欧の伝統、キリスト教のにおいては、愛は非常に大きなテーマである。 キリスト教においては、「神は愛である」としばしば表現される。 また、「無条件の愛」もたびたび言及されている。 また、主の名と、の妻の名と、愛、これら三つの言葉は、発音がよく似ている。 神の愛はしばしば歴史記述を通して具体的に語られる。 概要としては、愛を受けるに相応しくない者に、神の自由な一方的な選択によって愛が与えられ、その者が、たとい神から離れようとも、神は見捨てない、という内容である。 では、7章8節「ただ、あなたに対する主の 愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、が支配する奴隷の家から救い出されたのである。 」と翻訳されている。 では、)下1章26節「あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の 愛にまさる驚くべきあなたの愛を。 」と翻訳されている。 では、下1章26節「あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の愛にまさる驚くべきあなたの 愛を。 」と翻訳されている。 では、22章2節「神は命じられた。 「あなたの息子、あなたの 愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。 わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。 」 」と翻訳されている。 では、6章5節「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を 愛しなさい。 」と翻訳されている。 なお、主は、10章9節にも記されているとおり、の 嗣業を意味する。 では、19章18節「復讐してはならない。 民の人々に恨みを抱いてはならない。 自分自身を愛するように隣人を 愛しなさい。 わたしは主である。 」と翻訳されている。 では、20章6節並びに5章10節「 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 」と翻訳されている。 仏教での愛と慈悲 [ ] における、いわゆる"愛"(英語でloveに相当するような概念)について説明するには、「愛」と翻訳されている概念と、「慈」や「悲」と翻訳されている概念について説明する必要がある。 愛 tRSNaa () 人間の最も根源的な欲望であり、原義は「渇き」であり、人が喉が渇いている時に、水を飲まないではいられないというような衝動をいう。 それに例えられる根源的な衝動が人間存在の奥底に潜在しており、そこでこれを「愛」とか「渇愛」と訳し、時には「恩愛」とも訳す。 広義にはを意味し、狭義にはと同じ意味である。 また、この「愛」はに組み入れられ、第八支となる。 前の受 感受 により、苦痛を受けるものに対しては憎しみ避けようという強い欲求を生じ、楽を与えるものに対してはこれを求めようと熱望する。 苦楽の受に対して愛憎の念を生ずる段階である。 kaama (カーマ) kaamaはふつう「性愛」「性的本能の衝動」「相擁して離れがたく思う男女の愛」「愛欲」の意味に用いられる。 これを「婬」と表現することが多い。 では、については抑制を説いたが、後代のになると、男女の性的結合を絶対視するの影響を受けて、仏教教理を男女の性に結びつけて説く傾向が現れ、男女の交会をそのもの、あるいは仏道成就とみなす傾向さえも見られた。 密教がによって日本に導入された時は、この傾向は払拭されたが、平安末期に(俗にと混同される)が現れ、男女の交会を理智不二に当てはめた。 性愛を表すという語も、この流れであり、しばしば用いられる。 慈悲 preman, sneha preman, snehaは、他人に対する、隔てのない愛情を強調する。 子に対する親の愛が純粋であるように、一切衆生に対してそのような愛情を持てと教える。 この慈愛の心を以て人に話しかけるのが愛語であり、愛情のこもった言葉をかけて人の心を豊かにし、励ます。 この愛の心をもって全ての人々を助けるように働きかけるのが、の理想である。 仏教でも人のことを深くおもい大切にする、という概念はある。 ただし「tRSNaa」や「kaama」の中国語での翻訳字として「愛」の字を当てたため、別の字を翻訳字として当てることになったのである。 特にでは、がと並んで重要なテーマであり、初期仏教の段階ですでに説かれていた。 最古の仏典のひとつとされる『』にも慈悲の章がある。 あたかも母が己の独り子をばように、一切のに対しても、無量のを起こすべし。 全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし(『』 ) 一切に対する純化された想い(心)をという。 それは仏だけでなく、普通の人々の心のの中にもあるものだと大乗仏教では説く。 (や)は、慈悲の象徴ともされ、慈悲を感じることができるように表現されている。 儒教での愛 [ ] は、人がふたり居るときの完成した愛であるが、は、その実現困難性について「仁人は身を殺して以て仁を成すことあり」といい、愛に生きるならば生命を捧げる覚悟が必要だとした。 仁は対人関係において自由な決断により成立する徳である。 孔子は仁の根源を血縁愛であるとした(「孝弟なるものはそれ仁の本をなすか」)。 そしてこの自己犠牲としての愛と、血縁愛としての自己保存欲との間に、恭(道に対するうやうやしさ)、寛(他者に対する許しとしての寛大)、信(他者に誠実で偽りを言わぬ信)、敏(仕事に対する愛)、恵(哀れな人に対するほどこし)などが錯綜し、仁が形成されるとした。 一方で孔子は「吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と述べた。 は仁と義に対等の価値をみとめ、利と相反するものとしたが、は義即利とみて、孟子と対立した。 仁をただちに愛としないのは愛を情(作用)とみ、仁を性(本体)とみているからである。 愛の対象 [ ] 詳細は「」を参照 社会的な人間にとって根源的な愛の形態の一つ。 自分自身を支える基本的な力となる。 ( 英語でself-love とも。 narcissism の訳語として用いられることもある。 ) 生まれてきたばかりの赤ん坊は、保護者と接しながら自己と他者の認識を形成する。 その過程で 成人するまでに 自身が無条件に受け入れられていると実感することが、自己愛の形成に大きく関与している。 「自分が望まれている」事を前提に生活できることは、自身を大切にし自己実現に向かって前進する土台となり得る。 また、自己に対する信頼が安定すること、自分という身近な存在を愛せることは、その経験から他者を尊重することにも繋がる。 らからは、自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる、としばしば指摘されている。 自分を愛するように、人を愛することができるという訳である。 自分を愛せない間は、人を愛するのは難しいと言われる。 しかし子供によっては、虐待されたり、自身の尊厳を侵されたりするような環境に置かれることがある。 この場合、その子供は努力次第で逆境に打ち勝ち、人格者に成長する可能性もあるし、自己愛が希薄な自虐的な性格になるなど可能性もある。 もし後者で自己愛を取り戻すには、自身が無条件で受け入れられていると強烈に実感する体験がかぎの一つとなる。 周囲から見て精神的に未熟な者が、恋愛の最中に「恋している自分に恋している」と評されることがある。 これは、対象を愛して 気分が舞い上がりなどして いる自己に酔っている、また、パートナーがいるという優越感に浸っている状態を揶揄するものである。 しかし、本人の認識も、他者も、恋愛の対象も、全面的に真に相互的な恋愛感情を抱いていると誤認しやすい。 「 自己愛にはいくらかの傾向が見出されるが、いずれも全く個別的なものではなく重なり合っていると言えるだろう [ ]」と言う [ ]。 家族愛 [ ] の(1880年) 性的な愛、あるいは愛と性をまとめて扱う場合に「」という言葉が使われる例もある。 なお、「愛」という言葉は、文脈・状況によっては性交そのものを指す例もある(「いっぱい愛して」など)。 は、あらゆる形式の愛が性への盲目的意志に人間を繋縛するものであるとの理由で愛を断罪する。 しかし、その主著には独自の「性愛の形而上学」の考察が含まれている。 それによれば、愛はすべての性欲に根ざしているのであり、将来世代の生存はそれを満足させることにかかっている。 けれども、この性的本能は、たとえば「客観的な賛美の念」といった、さまざまな形に姿を変えて発現することができる。 性的結合は個人のためではなく、種のためのものであり、結婚は愛のためにではなく、便宜のためになされるものにほかならない。 フロイトは性欲のエネルギーをリビドーと名づけ、無意識の世界のダイナミズムの解明につとめたが、とくに幼児性欲の問題は従来の常識的な通念に大きな衝撃を与え、性愛の問題の現代的意味の追求への道を開いた。 たとえばD.Hロレンスの文学は、性愛のいわば現代文明論的な意味の探求を一つの中心課題としているものといってよい。 サルトル、ボーヴォワールらの実存主義者たちにも、人間論の中心問題としての愛、性欲の問題への立ち入った究明の試みがみられる。 生殖とは、生物の個体が自己の体の一部を基として自己と同じ種類の別の個体を生じる現象をいう。 個体にはそれぞれだいたい一定の寿命があって死滅するが、生殖によって種属の絶滅がふせげる。 生物には個体維持の本能とともに生殖を全うしようとする種属保存の本能があり、両者を生物の二大本能という。 生じた個体はその基となった個体とかならずしも同似ではないが、一定の世代数をへて同似のものにもどる。 ) 恋と愛 [ ] The Kiss - Gustav Klimt 男女間・(者における)同性間の愛は、日本語においては 恋という言葉でも表現できる場合もある。 なお、恋も必ずしも人間に対してのみ持つ感情ではない。 植物、土地、歴史等への気持ちにも「恋」という表現が用いられることがある。 恋と愛の両方を英語ではLoveと表現する。 英語におけるLoveと日本語における恋と愛はイコールではない。 これは両言語を用いる各種族の歴史観、宗教観、思想の相違による。 日本語において「ラブ」「Love」は若者の言語や芸術では恋、愛両方を表す言葉として頻繁に用いられている。 滅ぶべきものの本性は可能な限り無窮不死であることを願うが、それはただ生殖によって古いものから新しいものをのこしていくことによって可能である。 この愛を一つの美しい肉体からあらゆる肉体の美へ、心霊上の美へ、職業活動や制度の美へ、さらに学問的認識上の美への愛に昇華させ、ついに美そのものであるイデアの国の認識にいたることが愛の奥義である。 プラトニック・ラブはもとこのような善美な真実在としてのイデアの世界への無限な憧憬と追求であり、真理認識への哲学的衝動である。 しかしプラトンは美しい肉体への愛を排除するものでなく、イデアに対する愛を肉体的なものへの愛と切りはなして考えるものでもない。 憎しみは、怒りや反発など無数の意識に対する過去および未来にわたる一つの信任であり、これらの無数の意識の超越的統一である。 しかし、日常の不純な反省にあっては、「私がかれに反発するのは憎いからだ」とこの関係は逆転され、憎しみは怒りや反発が流出する源としてとらえられる。 プラトンは、エロスは神々と人間との中間者であり、つねに欠乏し、美しいものをうかがい、智慧を欲求する偉大な精霊(ダイモン)であるという。 生殖の恋も愛智としての恋も、ともに不死なるものの欲求である。 恋の奥義は地上の美しいものどもの恋から出発して、しだいに地上的なるものを離れ、ついに永遠にして絶対的な美そのものを認識するに至ることにある。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• 『』および『』の冒頭に献呈する相手の名として「テオフィロ様」とあるが、テオ(テオス)は「神」のことで、「神を愛する者」という意味の名である。 は、「言葉を愛すること」という意味からやを指す。 は、「人類を愛すること」という意味で、人類への愛にもとづいた様々な慈善活動を指す。 philharmonie は、「フィレイン」と「」の組み合わせであり、ハーモニーを愛すること、という意味から、交響楽演奏などの意味で使われている。 出典 [ ]• 竹取物語のかぐや姫の昇天の段には「翁をいとほしく愛しとおぼしつることも失せぬ」といった表現もある• スコット・ペック『愛と心理療法』創元社, 1987年, など• ひろさちや 『完全図解 仏教早わかり百科』、1999年12月1日、38頁。 平凡社 哲学事典• 平凡社 哲学事典• 平凡社 哲学事典• 平凡社 哲学事典• 平凡社 哲学事典• 平凡社 哲学事典• 平凡社 哲学事典• 平凡社 哲学事典 参考文献 [ ]• 『愛と心理療法』、1987年、。 『』、1991年、。 ドニ・ド・ルージュモン『愛について — エロスとアガペ』平凡社、1993年、。 『愛とゆるしの心理学』, 1996年、。 『愛の論理』, 2000年、。 ジャック・アタリ『図説「愛」の歴史』原書房、2009年、。 カーター・リンドバーグ『愛の思想史』教文館、2011年、。 関連項目 [ ] で 「 愛」に関する情報が検索できます。 ウィクショナリーの ウィキブックスの ウィキクォートの ウィキソースの コモンズで() ウィキニュースの ウィキバーシティの• - 恋愛は嫉妬を生む。 - 極度に情愛の高まった男女間・異性間が達する。 :愛欲にかかわる• - 愛はアイルランドの漢字表記の略称でもある。 - 国で主に使われるで標準的に用いられるとは、この2文字から始まる。 外部リンク [ ]• (文献)• (英語) - 「愛の哲学」の項目。 (英語) - 「愛」の項目。

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エリートの小児性愛と悪魔崇拝

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京都を舞台にした、なんと、全編京都弁による官能小説連作短編、二編です。 ドロドロ設定でありながらハートウォーミング。 風変わりな性賛歌あふれる短編小説です。 老舗和菓子店の孫娘である高校生の小雪が、大旦那である実の祖父と関係を持ってしまうところから始まる物語。 「雪景色」では、美大生に成長した小雪と祖父が織りなす、雪の降り積もる一夜のできごとを。 「蝉しぐれ」では、それから七ヶ月後の、人里離れた隠れ料亭での、複数交えての乱痴気騒ぎの情景を面白おかしく描いています。 「雪景色」「蝉しぐれ」の順でお読みいただければと思いますが、いずれか単体でも単独で読めるよう、人物設定の説明は施してます。 物語はすべて、小雪の京言葉による口述で描きました。 一読されると「~はる」の語尾の多さにもしや驚かれるかもしれませんが、実際にこのくらいがリアルなところでしょう。 関西人は相手さんの「~はる」の語尾を聞き当て「京都のひとやな」と常々識別しているくらいです。 ただ、日本全国の方々の期待に応えるべく、かなり盛ってはいます。 かいらしい小雪の京言葉にひととき、萌えていただけたら、そんな気持ちで執筆しました。

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小児性愛障害(ペドフィリア)とは|小児性愛障害と小児性犯罪を弁護士が解説

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小児性愛障害 ペドフィリア とは|小児性愛障害と小児性犯罪を弁護士が解説 みなさんは「ペドフィリア」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 「ペドフィリア」とは,「小児性愛障害」のことです。 ここでいう「小児性愛」とは,思春期以前あるいは思春期早期の子どもに対し,性的関心を持つことです。 13歳未満の子どもに対する性犯罪,すなわち小児性犯罪の認知件数は,年間900件以上に上っており,認知されていない被害件数も含めれば,その数は数倍から数十倍に上るのではないかと言われ,近年軽視することはできない問題となっています。 「自分の周囲ではそんなことは起きていない」と思う人が大半かもしれません。 しかし,小児性犯罪は,子どもはもちろん,親としても自分の子どもがそうした被害に遭ったことは隠したいと思ってしまうケースが少なくなく,身近で起きていても気が付きにくいという特徴があります。 以下,詳しく見ていきましょう。 小児性愛障害 ペドフィリア の診断基準と類型・特徴 小児性愛障害には診断基準があります。 国際的な診断ガイドラインであるDSM-5によれば,その診断基準は, A. 少なくとも6ヵ月間にわたり,思春期前の子どもまたは複数の子ども 通常13歳以下 との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想,性的衝動,または行動が反復する。 これらの性的衝動を実行に移したことがある,またはその性的衝動や空想のために著しい苦痛,または対人関係上の困難を引き起こしている。 その人は少なくとも16歳で,基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である。 とされています。 続いて,小児性愛者の類型・特徴をご紹介します。 大半の小児性愛者は男性です。 魅力を感じる対象は男児,女児,または両方の場合があります。 ただし,小児性愛者が嗜好する対象は異性の方が同性より2倍多いとされています。 ほとんどの例において,成人の小児性愛者は対象の小児の知人であり,家族,義理の親,権威をもつ人間 例,教師 である場合があります。 小児性愛者は小児にしか魅力を感じない場合 純粋型 と,成人にも魅力を感じる場合 非純粋型 があり,自分の身内である小児にしか魅力を感じない小児性愛者もいます 近親相姦。 強引な小児性愛者は,その多くが反社会性パーソナリティ障害を有しており,小児に対して力を行使し,性的虐待の事実を他者に告げれば本人や飼っているペットに物理的な危害を加えると脅迫することがあります。 小児性愛の経過は慢性的で,加害者はしばしば物質乱用,物質依存,うつ病を有していたり,新たに発症したりすることがあります。 広範な家族機能不全,性的虐待の既往,夫婦間の不和がよくみられます。 その他の併存症としては,注意欠如症,うつ病,不安症,心的外傷後ストレス障害などがあります。 小児性犯罪の法定刑と厳罰化の動き 強制わいせつ罪 刑法第176条 の法定刑が,被害者が13歳未満であっても「6月以上10年以下」と成人と同じであることについて疑問の声も上がっています。 性犯罪自体悪質だが,子どもを狙った犯罪は,より悪質であり,その子は人生のほとんどを,被害経験を抱えて生きねばならず,結果が重大としてより罰則を重くするべきだという指摘です。 一方,被害者が子どもであることは,不利な情状として量刑上考慮されており,強制わいせつ罪の法定刑がかなり広いことからすれば,必ずしも法改正しなければならないものではないという指摘もあります。 近年,厳罰化傾向にある性犯罪ですが,小児性犯罪に着目した法改正がなされるかという観点からも,今後の動向に注目したいところです。 過去の小児性犯罪事件と判決 過去にニュースとなった小児性犯罪をご紹介します。 最近の事件とはいえませんが,著名度の高いものとして,奈良小1女児殺害事件が挙げられます。 この事件は,奈良県奈良市で2004年11月17日,帰宅途中の小学校1年生の女子児童が誘拐され,わいせつ被害を受けた後に殺害・遺棄されたものです。 2006年9月26日,奈良地裁は, 「被害女児及びその両親に対する一連の犯行やその他の犯行の犯情,とりわけ,被害女児殺害の犯行の殺害態様の残忍性,結果の重大性,自己中心的な動機,犯行後の情状の悪質性や,これら一連の犯行による両親らの被害感情の深刻さ,社会的影響の甚大さ等を考え併せると,本件の犯行自体の情状は極めて悪い。 被告人は,鑑定を受け,反社会性人格障害及び小児性愛との診断を受けています。 まとめると,この事件は,小児性愛者による犯行であることが判決で認定されており,被告人の成育歴・人格形成過程にも言及していますが,結局のところ被告人の問題行動は本人の意思によるところが大きく,人格を矯正し,更生することは,極めて困難であるとされたものです。 逆に考えると,小児性愛者の犯行において,被告人の問題行動が本人の意思によるところが小さく,成育歴・人格形成過程の問題が大きいことが示せた場合には,量刑上有利に扱われるものと考えられます。 小児性犯罪の再犯率と再発 リラプス 防止への取り組み GPS,サポートプログラム この奈良小1女児殺害事件をきっかけに2006年からわが国では初めて矯正施設や保護観察所で「性犯罪者処遇プログラム」が始まりました。 このプログラムは,グループワークやカウンセリングによって,犯罪に至った問題点を認識させ,自分をコントロールする方法を習得させることを目的としています。 年間に刑務所で500人程度,保護観察所で1000人程度を対象に実施されています。 受けた人の方が,受けていない人より再犯率が低くなるというデータが出ている一方で,その有効性に疑問の声も上がっています。 たとえば,実施時期・期間の問題があります。 刑期のうちいつ受講するかは施設側の意向で決められるため,10年の刑期中,途中の5年目などで受講する場合もあり,プログラムの受講期間は3か月から8か月と,服役中ずっと受け続けられるわけではありません。 また,誰もが受けることができるわけではないという問題があります。 知的や精神の障害,身体疾患がある,あるいは言語能力が低いなどの人は分類で外されてしまい,真に受講が必要な人が受けたくても受けられないという現実があります。 このような性犯罪の再犯防止策は海外でも実施されており,たとえば,イギリスでは処遇プログラム以外にも,警察,刑務所,保護観察所を中心とした多数機関公衆保護機関 MAPPA の取組み,警察,刑務所,保護観察所の保有する性犯罪者・暴力的犯罪者についての共通データベースの構築,電子監視 ただし,これは,性犯罪者のみに限定して行われているものではありません ,インターネットでの違法サイトへの接続を確認するインターネット接続監視,民間団体との連携等,性犯罪者に対して非常に多様な働きかけがなされています。 このように監視を強めることは,憲法上許されるのかという問題が絡み,簡単に導入できるものではありません。 しかし,日本でも近年,GPSも利用した徹底した監視を求める声が上がっているところです。 法務省は今年8月31日までに,刑務所や保護観察所で2006年から実施している性犯罪者の再犯防止の処遇プログラムについて,課題などを話し合う有識者検討会を省内に設置すると発表しました。 今年9月に初会合を開き,来年夏に報告書を取りまとめる予定です。 プログラムがどのように改善されるのか,興味深いところです。 小児性犯罪で逮捕されたら 小児性犯罪で逮捕された場合,なんといっても早急な示談交渉着手が重要です。 性犯罪の場合,起訴前と起訴後では,示談の成否が刑事処分に与える影響が大きく異なりますが,起訴前の示談交渉は非常にタイトなスケジュールの中で行う必要があり,対応の遅い弁護人を選任したせいで手遅れになってしまったというケースは多々あります。 また,小児性犯罪では被害者の保護者が示談交渉の相手方となりますが,処罰感情が非常に強い場合が多く,高度な示談交渉スキルが求められます。 仮に起訴された場合,示談の成否のみならず,具体的な治療方針を示せるかどうかが量刑に影響します。 このように,小児性犯罪の弁護活動には,高度な示談交渉スキルや治療についての知識・経験が必要であり,数ある刑事事件の中でも特に専門性が強く求められます。 弁護人を選ぶ際は,このような専門的知識・経験がある弁護士であるかどうかをしっかりと確認しましょう。 特に,一度破たんしてしまった示談交渉は,弁護人を途中で変えても修復不可能なケースが多いです。 逮捕事案の場合,時間がないのは確かですが,最低限その弁護士の得意分野は選任前に確認しておかないと後悔する可能性が高いです。 まとめ いかがでしたでしょうか。 今回は一見自分には関係のないテーマと思われた方も多いことでしょう。 しかし,近年,決して無視することのできない問題となっており,一口に「問題」と言っても,それは立法面や治療面など多岐にわたっていることがお分かりいただけたかと思います。 中村国際刑事法律事務所では,最近このように様々な問題をはらむ小児性犯罪にも力を入れており,多数の示談成立実績やクリニックとの連携があります。 小児性犯罪に強い弁護士をお探しの方は,まずは弊所にご相談下さい。 専門的知識・経験ある弁護士が全力であなたをサポートします。

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